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映画「怪物」に見る日本の社会構造

何人かの知り合いの投稿で気になっていた是枝裕和監督の映画「怪物」を観てきた。
今の自身の気分も表していてとても面白かった。


前半のあらすじ

シングルマザーの母(安藤サクラ)と息子(黒川想矢)の物語としてスタート。父を亡くした母子は、何かしらの不安を抱えながら気丈に日々を暮らしている。
そんなある日、仕事から帰ると洗面台に切った髪の毛が散らばったままシャワーを浴びている息子。その後も不穏に思える出来事が次々と起こる。
靴が片方しかなかったり、水筒に泥が入っていたり、怪我して帰ってきたり。
聞くと担任に問題がありそうな事を感じとる。
学校へ乗り込み校長(田中裕子)に直談判するが、死んだ魚のような目で、まともに取り合ってくれず、いわゆるお役所的な対応に業を煮やす母。
他の先生たちも出てくるが、まともに取り合ってくれる様子はない。
問題の担任(瑛太)に至っては、心の入っていない言葉で言い訳発言の上、話し合いの最中に飴を舐めだす始末。
クラスの友人の証言により、担任の責任が問われる事態へと発展し遂には学校としての責任問題として謝罪会見に。

後半のあらすじ

前半の問題が実は一人一人のちょっとした行動や何気ない言動が引き起こしていたことが、きれいに回収されていく後半。
さらに、息子の友人、星川依里(柊木陽太)が物語のキーマンとして伏線の回収が進む。依里もまた問題を抱えた家庭環境で育ち、父子家庭で父親(中村獅童)の暴力的な発言を受けながらも懸命に生きている。
クラスの子にいじめられる依里と、正義感とクラス空気の間で揺れる息子との間に友情が芽生えていく。

所感

子供の育て方を知らずに育った大人たち。
その大人たちが作った、責任の所在が曖昧な組織や社会。事なかれ主義の中で、その場しのぎの小さな気遣いだと思っている嘘や欺瞞が誰も幸せにしない世の中を作って、その世の中に翻弄されている。
良かれと思った行動や言動が知らず知らずに悪い方向へ向かうのを助長してしまっている。大人も子供もこの世の中の空気に翻弄されて、もがいている。

作中の登場人物は比較的善意を持った登場人物が多い。それでも、誰も幸せにならない世の中。
普段の生活を振り返ってみてどう感じるだろうか。私には今の気分を表した、秀逸な作品だと感じ、他人事には思えない。
むしろ、的を射た日本社会の縮図のように感じる。

誰かに責任を求めたとしても、問題は解決しないだろう。個人に責任を追求したとしても、その人を生み出してしまった社会や構造が変わらなければ、第二の人物が出てきてしまうからだ。

だからこそ、システム(構造)とメンタルモデル(個人や集団が持つ考え方)の両方に手を打たなければ根本的には物事は変わっていかない。というのが、私の考えだ。

そして、現在の社会構造が「怪物」を生み出す装置になっていないか?
そう問いかけられている気がしてならない。

参考書籍

日本の社会構造がよく分かる本を。この2冊を読むとおおよそ日本の空気というものが理解できる。
「中空構造日本の真相」河合隼雄

「タテ社会の人間関係」中根千枝

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