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2024年1万ページ読書記録(1月-4月)

2024年がスタートして4ヶ月。
人生いろいろ、何が起こるかわからないもの。
新年のお祝いを実家で両親と家族と過ごした1月2日。
年始の診察始めに病院に連れて行った父はそのまま緊急入院となり、二十日も経たないうちに還らぬ人となった。
享年75。私の人生計画も大幅に修正を迫られることになりそうだ。
想像していた、人生あと半分くらいだろうのボンヤリした思いも、いつか地元にUターンできればいいな、定年くらいかなとボンヤリ考えていたことも、現実味を帯びて突如目の前に突きつけられることになった。
転機が訪れているのかもしれない。

2024年の読本一覧

さてさて、そんな渦中の中、合間を見て読み進めた読書記録。
人生の転機で選書も少しだけ変化があるかも?な選書を紹介します。

特に印象深かった書籍を紹介する。
次の2冊は年末に購入した書籍。
ここは既定路線の選書。

言語の本質

サピエンス全史

 「言語の本質」と「サピエンス全史」この3冊(サピエンス全史は上下巻の2冊)は、書籍同士につながりも感じられる内容で、通して読むことで、人類の特性と歴史の見通しがかなり良くなる。

さらに、「共同幻想論」「食べものから学ぶ世界史: 人も自然も壊さない経済とは?」と合わせて考察することで、さらに深めることができそうなので、書籍名だけ出しておく。

「サピエンス全史」でなされた特に面白い提案は、「認知革命」という概念だ。人類が共通のフィクション(虚構)を信じることができるようになった能力を著者のハラリ氏は、認知革命と呼んだ。
宗教しかり、お金しかり、実体がないものを想像して共通認識として協働できるのは人類の特性だという。いくつかある人類の転換点の中で最も重要な転換点であると言っていいただろう。
一方「言語の本質」では、「ザーザー」や「にこにこ」などのオノマトペの起源を切り口に、言語と身体性とのつながりの考察からはじまり、言語の本質に迫っていく。

雨が「ザーザー」降る、犬が「ワンワン」ほえるなど、音や声を直接表す言葉を「擬音語(擬声語)」、星が「きらきら」光る、子どもが「にこにこ」笑うなど、ものや人の様子を直接表す言葉を「擬態語」といい、こういった言葉をまとめて「オノマトペ」といいます。 日本語はオノマトペがたくさんある言語です。

google検索 オノマトペ

え?サピエンス全史と言語の本質に繋がりがあるの?と思われた方、もう少しお待ちください。
繋がりを説明していこうと思う。
認知革命と言語の本質には深〜い繋がりが感じられるのです。

言語の本質を読むと、言語の起源は、推論を確かめるために発生したのではないかとも思えてくる。
例えば、赤ちゃんは黄色いバナナを指して、「黄色だよ」と言われてもそれが色を言っているのか果物の種類を言っているのかその時点では、定かではない。
いくつか別のものも見せながら同じ色のものを指し示すうちに色のことを言っていたんだ!と理解できるようになってくる。(ことばを少し理解し始めた月齢の赤ちゃんだと想定してくださいね)
このとき、頭の中ではいくつか与えられた例示の情報をもとに「色のことを黄色といっているのかな?」と推論を行なっていることになり、この推論を行う能力は、人類だけがもつ能力だというのだ。
「英雄は色を好む」という言葉を思い出してみよう。「英雄」は「色を好む」が、「色を好むひと」は必ずしも「英雄」とは言えない。これは直感的に理解できるはずだ。
ここで頭の中で何が起こっているか考えてみると、英雄(A)は色を好む(B)という時に英雄(A)は色を好む(B)を指している関係を、英雄(A)→色を好む(B)の関係とする。
しかし、色を好む人は必ずしも英雄では無いので、色を好む(B)→英雄(A)は成り立たない。
話をバナナの黄色の話に戻ってみる。
バナナを指して黄色と言った時、バナナA→黄色Bは分かっても、黄色B→バナナAは必ずしも正解では無い。A→Bを理解した時に同時にB→Aを推論できるのが人類の能力とのことだ。
そして、B→Aを確認するためにこそ言語が発生して発達したのでは無いかとの仮説に至る。
もっとも、本書の中で紹介された高い頭脳を持つチンパンジーに2例ほどこの推論ができた実験例があるそうだが、人類以外でこの推論ができるのは極めて低い確率のようだ。
つまり、推論する能力と言語が生まれた起源とは同時発生的に生じたのではないかという仮説が生まれてくる。ここに言語の本質を見出していくというとても面白い内容なのだ。

サピエンス全史に戻ってみよう。人が実体のないフィクション(虚構)を信じることで協働を可能にした認知革命が大きなブレークスルーだったとするサピエンス全史。

言語の本質の主張と合わせて解釈すると次のようになるだろうか。
人類が推論の能力を手にすると同時に言語が発生した。推論を確かめるためのツールとして言語が発生したはずだが、確かめる推論が真実であってもフィクション(虚構)であっても信じる人が多くいれば、協働して集団で達成することが可能となった。
この点が体格や脳の大きさで上回っていたはずのネアンデルタール人が絶滅して、小柄で脳の大きさも小さいにも関わらずホモサピエンスが生き残ることができた違いを生んだ「認知革命」であるというお話だ。
言語の本質とサピエンス全史とは綺麗に繋がってくる話なのだ。


サピエンス全史の最終章では、さらなる進歩を示唆する内容となり少々楽観的すぎる進歩主義の史観が見て取れるが、それを差し引いたとしても読んで損はない書籍だ。

サピエンス全史では、人類がネアンデルタール人との生存競争に勝って、絶滅させた勝者として描かれる向きが強いが、果たしてどうだろうか。

人類は共感をベースにしたからこそ、想像力が生まれ協働が生まれ生き残ることができて、進歩してきたとする希望の歴史を描いたルトガー・ブレグマンの「希望の歴史」の方が前向きに捉えられて好みではある。

「サピエンス全史」と「希望の歴史」は同じようなことを言っているのだが、勝利者史観で性悪説的に人類を捉えるのか、共感がベースにあり性善説で人類の歴史を捉えるのか、人類に対する見方が180度変わる。


超訳 易経 陽―乾為天

超訳 易経 陰―坤為地ほか

四書五教のひとつ易経。四書五経は少しづつ読み進めていたので、既定路線でもあるが、本格的に興味を持ったのは最近。NVC(非暴力コミュニケーション)の研修で易に詳しい方に見てもらって俄然興味が湧いた。
初めての易だったが、6つの全てが陽の卦の乾為天という卦が出てその意味を教えてもらい、それにちなんだ書籍を探してみた。
易というと占いの話に思われがちだが、なんのなんの。こちらの2冊には占い要素は全く出てきません。
天体観測や太陽と月の動き、季節の移ろいなど、当時の最新の自然科学をベースに自然観察から洞察された普遍的な法則を人生の哲学に昇華した易経。いまから約5,000年前に中国で生まれた、世界最古の書物だ。
なんともとっつきにくい易教の話をわかりやすく解説してくれた2冊。
超訳 易経 陽―乾為天では、乾為天が示す龍の成長物語で人生の教訓を教えてくれる。
超訳 易経 陰―坤為地ほかでは、六十四卦の中から抜粋した卦の読み方についてわかりやすく解説してくれる。
自身の人生の今のタイミングがどれに当てはまりそうで、どのような心構えを持っていれば良いのか示してくれるのはありがたい。
陽があれば陰がある。長い人生の中では、時に悪いことも起こればいい時期もある。その時どのような心持ちで事にあたるかで、より良い人生を送れるかが決まる。場面場面でのあり方を示してくれるのが易経だ。
この2冊を読んで、もっと知りたくなった。

ザ・メンタルモデル 痛みの分離から統合へ向かう人の進化のテクノロジー

人から紹介してもらって知った、由佐美加子さんのyoutube番組「今日斬り」第1回の動画を見てしっかりハマってしまいました。

「今日斬り」を知って半月くらいは、時間があれば視聴するハマりかたで、自分自身が父の死と向き合う中で考え方や過去の振り返りの視点に関して示唆を与えてくれる内容だった。
どんな人も、特に幼少期に無力感を感じるような痛みと出会い、信念(メンタルモデル)を作ってしまうといいます。信念は、無力感を回避するための行動パターンを作ってしまい、不本意な現実を生み出している。
メンタルモデルは、4つのメンタルモデル(価値なし、愛なし、ひとりぼっち、欠陥欠損)があるとされていて、どれも内容を聞くとあてはまるかもと思ってしまうものですが、大小あれど大きく抱えてしまうものは、一つに絞られるとのこと。
4つのメンタルモデルは今の世の中の縮図となる課題として、一人ひとりに発現してしまう。幼少期に大きく影響を与える親や家族や周りの人も社会の中でメンタルモデルを形成してきたわけだから、周りのメンタルモデルの影響を受けるのは当然で、どう捉えるかは受け取り側の個別の感じ方の差があるにせよ、世の中が抱えている課題が、痛みを生み出しメンタルモデルを作ってしまうのだろう。

メンタルモデルに気づかずに邁進してしまうことは個人個人にとっても、社会全体にとっても勿体無いように感じる。
自身のメンタルモデルに気づいて、最初はものすごく居心地が悪いが痛みとただただ共にあることができるようになれば、少しだけど世の中が良くなっていくような感覚に包まれる。
ぜひ、多くの人に知ってもらいたい内容だ。

次の記事にもザ・メンタルモデルと今日斬りについて書いてみたのでこちらもご参考。

まず、世界観を変えよ――複雑系のマネジメント

長らく積読になっていた本書。読んで損なし。
田坂さんの書籍はどの書籍も今読んでもためになる本だ。
本書も御多分に洩れず、2010年の書籍で14年前なんて感じさせない今でも十分に読む価値ありの書籍でした。
システム思考で構造的に捉えることの大切さを学んではいたものの、プロセスで考えるべきだとの示唆はとても響いた。
構造はプロセスの影であり、プロセスを変革することが重要だという。
企業において構造を変えることは、レバレッジの高い施策なのは間違いないだろう。
しかし、着目すべきはプロセスの方だという。実務での応用を考えると業務を改善することはプロセスを改善を意識することが重要になる。その影として構造が生まれると考えれば、プロセス変革の先にそれに適した新たな構造が生み出されることで、プロセス変革がより定着し効果的になり、さらなる改善を進めることができるようになる。
システム思考でも見ようによっては同じ手続きを踏んでいるのかもしれない。
システム思考の通常の手続きでは、
1.生じている出来事を時系列で捉えて、
2.時系列の結果を生む構造を明らかにし、
3.構造を見ながらレバレッジ(効果)の高い働きかけを検証する。
ここでいう、効果の高い働きかけは、プロセスの変革に他ならないようにも思えてくる。
これまでシステム思考は物事の複雑性を構造的に捉えるものとばかり考えていたため、その改善の方法は構造を変えることのように感じていたが、構造へ介入することでプロセスを変えていると捉えると、施策の出し方や発想を拡げられるヒントになりそうだ。

読書マップ全体

以上、2024年4月の読書記録でした。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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