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茶の湯とIDGs


コラム

茶は総合芸術と言われる。
道具や季節のもので工夫しながら空間を演出し、お客様と実際にものを見て、触って、感じて、味わい、一期一会の直心の交わりが生まれるひと時を参加者全員で作っていく。そのひと時を感じるがために日々のあり方を見つめ鍛錬していくようにも感じる。
特に茶人にとってそのような場面が生まれる茶事は特別なものとして捉えられているように思う。
(「茶事」はフルコースの茶会、「茶会」は略式の茶会)
私自身も茶事はいつも忘れられないひと時としてどのお茶事も今も記憶に残っている。鍛錬を積み重ねた先にある直心の交わりを感じる喜びは代え難いものと言えるだろう。
とはいえ、相手あってのお茶。多くの人に触れていただき残していくために何ができるのか、激減、高齢化している茶道人口を前に考えてみたくもなる。


https://worldsegg.com/teaceremony-japan/

2021年の茶道人口は約92万人で、25年間で3分の1ほどになった。

https://www.yomiuri.co.jp/culture/tsumugu/20221002-OYO1T50005/

2022/10/02 読売新聞


自己の内面を探求し、日々精進し積み重ねていく茶道。季節や自然を感じ、他者との直心の交わりを追求し、禅に繋がる世界観は、IDGsとも親和性が高い。
茶の湯に見られるような守破離の考え方には、東洋独特の思考が感じられる。
特に守破離の守では、同じことを繰り返しながら、茶の湯では季節に応じて変化するものの、同様の動作を繰り返し鍛錬して行く。その鍛錬(Doing)を通じて、やがて自己のあり方(Being)が高まっていくと考えるのは東洋的な考え方をよく表しているように思う。
西洋であれば自己のあり方(Being)があって、その先の行動(Doing)が決まると考えがちで論理的な思考を得意とする西洋の思考では、そうなるのもとても頷ける。
一方、東洋思考はその逆を実践して行く。鍛錬すること(Doing)があり方(Being)を徐々に変え、自己を変容させる。特に〇〇道と呼ばれるものは、自己のあり方の形成を感じさせてくれるものが多く、実践者の方々の話にもその様子は共通しているものだと感じる。
IDGsで自己のあり方をどう高めていくのかが一つの主眼となっているが、日本文化における〇〇道と付くものには、その答えとなるような要素が散りばめられている。
IDGsと茶道がつながることで、IDGsのワークの中に茶道の要素を取り入れて行くと、互いが高め合う新たな道が拡がるようにも感じる。

まだ茶の湯に触れたことのない方には、ぜひ一度チャレンジしていただきたい。お作法などの形式の先にある清々しさを感じていただけるはずだ。

以上 今回は、お茶会の記事から拡がった発想を抜き出してみました。

【参考】IDGsポータル


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