チャーハンと母と僕

僕は千葉で一人暮らしをしてかれこれ6年が立つ。

地元は群馬で、年に数回くらい帰省している。

そして、今年の年末年始も例年通り、群馬に帰省することにした。

毎回、最寄りの駅に着くと、母が車で迎えに来てくれる。

家に着くまでの車中は、いつも母の最近の近況報告や英語を勉強していることなど、わりかしどうでもいい話を長々と聞かされる。

その間僕は、聞いている振りをしながら、違うことを考えている。女の人の話はいつも長いと思う。

今日は、電車の時間がギリギリだったため、朝から何も食べていない。

もうすぐ時計の針は15時を指そうとしていた。

僕はお腹が空いた。家に着いたら何か食べよう。

家に着くと、早速家中の食べ物を探した。

お菓子やアイス、カップラーメンなどすぐに食べれそうなものは一つも見当たらない。

もう、我慢の限界だ。

「最後の手段」である冷蔵庫を勢いよく開ける。

そこには、200グラムの冷や飯と卵とネギがあった。

まるで、「チャーハンを作れ」と冷蔵庫が言っているかのようなラインナップである。

冷蔵庫がそう言うなら仕方がない。

チャーハンを作ってやろう。

僕は、普段料理を一切しないが、チャーハンだけは作れる。

卵をといてご飯を入れてネギと一緒に炒めるだけである。

レシピを見なくてもできる、いかにも庶民的な料理だ。

僕は、フライパンを激しく動かして、米を踊らせる。

ウェイパーと塩とコショウ、香りづけにゴマ油を入れる。

ものの10分で、料理素人のチャーハンは完成した。

早速、お皿に移そうとするが、なかなかお米が動いてくれない。

失敗だ。

チャーハンはパラパラになっておらず、お米とお米がくっついていた。

ただ気にしている時間はない。

僕はお腹が空いているのだ。味だ味。味がよければなんでもいいのだ。

スプーンで勢いよく口にかけ込む。

うまい。うますぎる。僕は無心になって食べた。

普段あまり料理をしないからかもしれないが、自分で作ったものは格別に感じる。

気づいたら、最後の一口になっていた。この味が名残惜しい。

そう思いながら、最後の一口を頬張る。

ごちそうさまでした。

お腹もいっぱいになり、こたつに横たわりながら、母が録画しておいてくれたバライティを見ることにした。


気づくと夕方になっていた。ガッツリ寝てしまったようだ。

玄関が開く音が聞こえる。どうやら母は、夕飯の買い物に行ってたらしい。

すると、台所から母の怒鳴り声が聞こえる「料理するならちゃんと使った物を洗いなさい。片付けできないなら料理なんて二度としなくていいからね」

僕は実家に帰って来たことを実感した。

「うるさいな。そのうちやるよ」

明日もチャーハンを作ることに決めた。

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