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暇な大学生の「読書好きマイノリティ」

私は読書が好きです。

まあ自己紹介などでもよく聞く。
実際私も使う。
しかし私は大概「趣味は読書」という人に自分から「私も読書が好きなんです!!」と話しかけることはまずない。
それは、なぜか。
私の読書好きはおそらく少数派だからだ。

ここから話すことは完全に様々な意見があるだろう。
それを踏まえて私の話をきいてくれ。
怒っているのではなく、悲しんでいるんだ。


まず読書好きという人の多くは現代小説が好きな人が多い。わかりやすく言えば村上春樹だとか、東野圭吾だとか、住野よるだとか、辻村深月だとか。おもしろいと思う。私も現代小説を読まないわけではないからその面白さはわかる。

しかし私の"好き"の主戦場は近代文学だ。
この時点で話が合う人が半減する。

それから私が少数派の理由はもうひとつ。
私は一冊を何度も繰り返して読むため1ヶ月あたりの読んだ冊数はそれほど多くない。私からすると最近の読書好きがやれ1ヶ月に何冊読んだ、やれ読むスピードがどうだとかいうのは疲れてしまうし、もはや滑稽に思えて仕方がない。
この時点で話の合う人はいなくなる。ああ悲しや。


そもそも私の読書スタイルと多数派の読書スタイルの違いは何なのか。

現代小説が好きな皆様はストーリーを楽しんでいる方が多いのではないだろうか。確かにストーリーを楽しんでいるのであれば何度も読むなんてことはしないだろう。展開がわかっているのだから。加えて最近は様々なビジネス本や自己啓発本も出ている。あの類いはいわゆる"教科書"なのだから一度読めば学べることだろう。

一方私はあくまでも芸術の中の"文学"を楽しんでいる感覚なのだ。近代文学にはストーリーにそれほど展開がない小説も大いにある。
ではそれらの小説はどのような楽しみがあるか。
それはその作者の、作品の、語感、言葉選び、文字の配置、装飾、文体を楽しむのだ。落語のようなテンポのよさを感じたり、自然で違和の全くない文体を全身に取り込んだり、美しい文字の並びを眺め恍惚としたり、句読点の位置や文章の構成で読む速度を調節させられたり、カタカナの扱いで目を止めさせられたり。
そうやって私は本を楽しんでいる。
それは美術館で美術品を嗜む感覚に似ている。
そう考えると冊数や速読を競うだなんて「君は美術館でたくさんの美術品が並んでいるのをただ素通りするタイプの人間か?」と不思議に思えてしょうがない。
無粋な方だこと。

私にとっては文学は芸術で、本は美術品だ。
何度も味わい、色んな読み方をして、じっくり楽しみ、私のコレクションへと保管する。

まあそんな読書好きなんてマイノリティだとわかっている。ただ、「私、読書好きなの!1ヶ月に30冊は読むし~読むスピードも速いって言われる~」だなんて人とは一生語らえない。ごめんあそばせ。

とはいえ、読書には色々な楽しみ方があるところもいい所だろう。あなたにはあなたの楽しみ方があり、そこに貴賤はあってはならない。どれも正しい。それは事実であり忘れてはならない。
しかし最近は多数派の楽しみ方が"正しい"とされ無闇に"評価"されているように思う。まるで読書好きのレベルを推し測るかのように。
そうやって多数派の方が少数派の楽しみを理解せずランク付けするのは少々いただけない。

私は私の楽しみ方で本を愛してるの。


最後にひとつだけ。
読むスピードが速いことが粋になるのは芥川ぐらいだと思え。調子に乗るな。恥ずかしい。

失礼いたしました。

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