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【海のナンジャラホイ-50】素潜りだいすき

素潜りだいすき

素潜り事始め

物心ついた頃から、外房の九十九里浜の海にほとんど毎夏通っていたことは、第48回でお話ししました。外洋に面した長く続く砂浜の海岸では、波が間断なく寄せては返し、海水は渦巻いて砂を舞い上げています。小学生になってから水中マスクとシュノーケルを買ってもらったのですが、砂浜海岸の浅場で泳いでも、いつも砂が舞っていて何も見えませんでした。シュノーケルには絶えず水が入るので、こんな道具は何かインチキな物なのだろうと思っていたので、まともに使った記憶がありません。
シュノーケリングに開眼したのは高校時代です。友人たちと海水浴のつもりで真鶴に出かけて、岩礁海岸で泳いだ時に、水中マスクとシュノーケルを付けていたのです。どういうわけかその時には、誰かに習って道具の使い方を知っていたようです。スイッと海に泳ぎだして、すぐに衝撃を受けました。海の中が綺麗によく見えます。海底には海藻が揺れています。魚の群れも泳いでいます。ヒトデもいます。九十九里海岸で波に揉まれて何も見えない海の中を当たり前だと思っていた私にとって、海の中を「見ることができる」というのが、驚きでした。たまたま透明度も良かったのだと思います。シュノーケルという道具にも驚きました。私は高校では水泳部に所属していたので、上手く泳ぐためには息継ぎをする工夫が大切でした。ですから、息継ぎをしないで、泳ぎながら海の中をずっと覗いていられるというのは、なんと楽なのだろう。なんと画期的な道具なのだろうと思いました。

耳抜きの工夫

海中の観察をしながら海面を泳ぐのがシュノーケリングです。水深が1~2メートルくらいであれば、海底の様子もよく見えて十分楽しいのですが、もっと深いところに泳ぎだすと海底が遠くに見えるようになって、面白そうな生物が海底に見えると、どうしても近づきたくなります。そうなると、海底まで潜りたくなるので、素潜りを練習することになります。スキンダイビングです。海面に腹這いになるように体を伸ばし、腰からギュッとお辞儀をしながら上半身を海底に向けて、同時に下半身を海面に跳ね上げる「ジャックナイフ」と言われる方法を身につけたら、腰に乗った下半身の重みでススッと海中に潜行してゆくことができます。すぐに3~4メートルくらいには達します。すると外耳から鼓膜に水圧がかかって痛くなるので、咽頭から中耳につながる管(耳管)に空気を送って内圧を上げて鼓膜を助けてやる「耳抜き」が必要になります。水中マスクごしに鼻をつまんでウッと息を送るのです。でも、体が逆立ちした状態でこれを行うのは、初めはなかなか大変です。しかも、人によって耳抜きの容易な人と難しい人がいるのです。耳管の太さとか体質の違いなどによるのでしょうか? 上手な人たちは、スンスン耳抜きをしながら深いに場所に潜ってゆきます。
私は、実は、逆さまになった状態で耳抜きができませんでした。悔しかった。それでいろいろと工夫をしてみたのです。まず気付いたのは、海面であらかじめ耳抜きをしておくと、少し楽であること。それから、首をぎゅっと横に曲げると、曲げたのと反対側の耳抜きがしやすいことでした。加えて、すごいことに気付いてしまったのです。「体が逆さまだと耳抜きできないので、体を起こせば耳抜きができる。しかも、耳抜きをすると息が楽になる」ということです。したがって、頭を下にして潜っていって、耳に強い水圧を感じたら海中で体を起こせば耳抜きができる上に、息が楽になるのです。このことに気付いてからは、海中で何度か体を起こすことによって、どんどん深場に潜って行けるようになりました。

あぶない経験

素潜りを覚えると、どんどん深場に行きたくなります。潜り始めて水深が増すと、体にキュンとかかってくる水圧のあの感じ、海底に達したときの達成感、浮上するときの海面への到達が待ち遠しい感じ、水圧が緩んで体の中の空気が膨らんでゆくあの感じは、不思議な快感です。呼吸を止めた生死の狭間で、自分が生き物であることを、生々しく感じる時間でもあるのです。
自分が素潜りでどれくらいの深さまで行けるのかを知りたくなりました。そのため、大学に入って本格的にダイビングを始めてから、スキューバダイビングの合間に、腕に水深計を巻いて透明度の良い海で素潜りを繰り返していた時期がありました。1日の中でも、素潜りを繰り返していると、体が慣れてくるせいか、だんだん深くまで行けるようになります。水深10メートルまで行くのは楽です。さらに水深15メートルも超えました。でも、「行きは良い良い帰りは怖い」のです。水深20メートルまで到達して、余裕があったように思えたので、海底でウロウロしてから浮上にかかった時のことです。海面まで泳いで到達できるだけの息が残っていなかったようで、浮上の途中で視野の上の方から黒い幕がスッとまっすぐに降りてきたのです。酸欠によるブラックアウトでした。でも、ほぼ同時に頭が海面に飛び出して、息ができたら視野が回復しました。間一髪の経験でした。その後は、水深かせぎの無茶な素潜りをすることはなくなりました。
他にも、素潜りで危なかったことがありました。大学時代に西表島にボートダイビングに行った時のことです。1本目のスキューバダイビングを終えて、船上での休憩の時のこと。ガイドして下さっていたインストラクターが、シュノーケリングをしていました。海底にはサンゴ礁が広がっています。楽しそうだったので、私も近くでシュノーケリングを始めました。インストラクターは無駄のない美しい動きでスイスイと海底に向かって行きます。私も、当時はかなり素潜りの修練を積んでいたつもりだったので、真似をして同じような水深のところで潜っていました。やがて、インストラクターはサンゴ礁の海底の穴の中にスッと入って行きました。海中のトンネルのようでした。近くで潜っていた私は、すぐ後を追って穴の中に入りました。入ってすぐに後悔しました。トンネルの長さが想像以上に長かったのです。しかも、体ひとつがなんとか通り抜けられるくらいの太さの穴です。後戻りはできません。インストラクターのフィンはずいぶん遠くの方で動いていて、やがてトンネルを抜け、海面に戻ったようです。何が何でも通り抜けなければ、トンネルの途中に取り残されてしまいます。そうなれば、船からは容易に発見することもできないでしょう。パニックになりそうな気持ちを抑えて、ウンウンと息こらえを必死にして泳ぎ続け、かろうじてトンネルの外にできることができました。今でも忘れることのできない、本当に危ない経験でした。
素潜りを始めて50年近く経ってしまいました。今でも素潜りは大好きです。さすがに深場への潜水にチャレンジすることはなくなりました。でも、海底に到達してから、海面を目指して戻ってゆく感じは、魚の世界からヒトの世界に戻ってゆくような、夢の世界から現実の世界に戻ってゆくような、重力を取り戻そうとしているような、なんとも言えない感じです。素潜る私を、当分は止められないと、思います。

○o。○o。 このブログを書いている人
青木優和(あおきまさかず)
東北大学農学部海洋生物科学コース所属。海に潜って調査を行う研究者。


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