【海のナンジャラホイ-48】外房のハマグリ漁
外房のハマグリ漁
九十九里浜に向かう
先日ラジオを聴いていたら、母の日の特集で椎名林檎の名曲「歌舞伎町の女王」が取り上げられていました。東京の新宿駅東口の歌舞伎町で「女王様」を2代にわたって担う母娘がテーマの歌なのですが、これを母の日に因んで取り上げるというのは、ずいぶんと変わった趣向だなと思って、ちょっと感心もしながら聴いていました。この曲の冒頭に「九十九里浜」という地名が出てきます。おばあちゃんと女の子が、九十九里浜で手をつないで歩いているというのが、導入シーンなので、おそらくこの歌の主人公の母娘の出身地は千葉県の九十九里浜なのでしょう。
実は、私が海洋生物研究の道に進んだきっかけは、ずっと遡ると九十九里浜にあります。私は、物心ついた頃から小学生の半ばごろまで、父の会社の保養所があったために、ほぼ毎夏九十九里浜を訪れていたのです。波打ち際で砂掘りをしたり、打ち上がった貝を拾ったり、地引き網にかかった魚介類を持ち帰っておもちゃ代わりにしたりして遊んでいました。地引き網では、食用以外の生物は漁師さんたちから分けてもらうことができたので、ずいぶんと色々な生き物を集めて、図鑑と比べて眺めたり日干しにしたりしていたので、退屈する暇がなかった記憶があります。そのあとは、家族で海に行くことはほとんどなくなったのですが、あの頃に体の奥底に強烈に刷り込まれた海洋生物たちの記憶が、大学に進んでから呼び覚まされたのだと思います。
「歌舞伎町の女王」で九十九里浜の記憶が蘇り、ふと思い立って、5月のゴールデンウィークの最中である5月4日に九十九里浜に行ってみました。たぶん50年ぶりくらいの訪問だったのではないかと思います。早朝に東京から車で出かけて、到着は朝の7時半くらいでした。
解禁直後のハマグリ漁
到着したのは、全長が60 km以上に及ぶ九十九里浜の中央付近にある本須賀海水浴場です。私が幼い頃に訪れていた海岸がどこだったのか、いまひとつ定かではないのですが、たぶんこの近くだと思いました。駐車場に車を停めて、海岸に向かって歩き出したのですが、波打ち際まで距離が150 m 以上ありそうです。沖に向かって波打ち際に立ってみると、海岸線が右手にも左手にも見渡す限り続いています。青天の下、ものすごく広大な景色と解放感に圧倒されました。波打際の様子は、私の子供の頃と変わっていないように思いました。大小いろいろな二枚貝の殻がそこここに落ちています。その中で特に目立つのは、ハマグリ(チョウセンハマグリ)です。ここ九十九里浜は昔から有名なハマグリの産地なのです。沖に目を向けると、ちょうどハマグリ漁が行われていました(写真1)。5月からお盆前までが漁期で、良く潮の引くときに行われる漁です。ちょうど解禁直後の、大潮に向かう干潮時に私は浜に立っていたのです。
ハマグリ隊が行く
ハマグリ漁で、沖の方で船から行うのは、大きな熊手のような「マンガ」と呼ばれる道具を引っ張って底引きする「貝桁網漁(かいけたあみりょう)」です。一方、春から初夏にかけて干潮時に岸でミニチュアのマンガに長い柄が付いたような腰巻漁具「腰カッター」(写真2)を人力で動かして波間を縫いながら、ハマグリを採捕するのが、今回私が見た漁でした。砕ける波の中を、長い柄を天に向けて突き出して動かしながら、並んで移動してゆく「ハマグリ隊」の光景は、朝のキラキラした海面に美しいシルエットを作っていました。
実は、海岸には一般車両は入れません。ハマグリ漁の漁業者たちの専用ゲートがあって、そこから腰カッターやクーラーボックスや海水タンクを積んだ軽トラックがやってきます。軽トラックは、海岸に並んで各々の主人の漁果を待っています(写真3)。漁の様子を飽きずに眺めていたら、やがてハマグリ隊の人々は、浜に上がってきて、腰に下げた網に溜まったハマグリを軽トラに積んだ桶にガラガラと移して、次々に去って行きました。
私がいつも調査に入るのは、海藻の生えている 岩礁海岸ばかりです。普段は海水浴もほとんど行わないので、砂浜海岸という場所には縁がなくて、九十九里浜の海岸はなんだかとても新鮮に映りました。「海の研究をするなら、藻場ばかり見ていないで、いろいろな海岸があることを忘れちゃいかんよ」と九十九里浜に諭されたような私のミニ旅行でした。遠い昔の自分にも出会えた気がします。きっかけを作ってくださった椎名林檎さん、ありがとうございました。
*はまぐり漁の動画(音声があります)
○o。○o。 このブログを書いている人
青木優和(あおきまさかず)
東北大学農学部海洋生物科学コース所属。海に潜って調査を行う研究者。
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