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故郷の匂い



パチパチ…チリチリ…プツッ…

パチンコ屋の、虫除けライトの音で目が覚める。

生命の弾ける音、静かな夜に波紋を残す。

カエルも寝静まる深い丑の刻。


夜風を浴びたくなり、そっと窓を開ける。

私の部屋のある2階の窓から右下の方に、ぼうっと青白く輝く人魂のようなライトの光が目に入る。

そこに向かって蛾や蚊などの虫たちが飛び込んでいく。

パチパチ…チリチリ…プツッ…

流れ作業用のコンテナに乗せられ、袋詰めされるアンパンのようだ。


焦げ臭くて酸っぱいにおいが辺りに漂う。

夜風が運ぶ夏草の甘い香りを期待していた私は少しがっかりして、わざとらしく空を仰ぐ。


「…ああ、Kか」


白い煙が空を牛耳っている。

漆黒の空を増殖していく不定形な白い影。

逆さまの入道雲のようにも見える白煙は空を覆い、星や月を隠している。

その真下に位置する煙の源に巨大な黒い塊が見える。
それをキャンパスに、閃き閉じる数百の薄グリーンのペリドット。

まるで空想生物の瞳のように美しい。

この塊こそ、私の故郷・N町の誇る不夜城、K化学工場だ。


昼には小川のように控えめに流れているK化学の煙は毎晩0時を過ぎる頃から形相を変え始める。

勢いを増す白煙は月、星を覆い、N町から夜空を奪っていく。


田んぼと住居、K化学とパチンコ屋のカオス。

N町はK化学工場の城下町、
町全体がK化学の生贄だった。


Nに住む人の親戚、近縁は誰かしらこの化学工場の関連施設で働いていた。

何重もの雇用、縁故の鎖に繋がれて、誰しもが身動きが取れなくなっていた。

K化学の関連施設で働き、パチンコを打ち、帰宅する。
たまに田畑の手入れも少々。

これが我が町民のベーシックなライフサイクル。


小さな水槽を旋回する魚たちに知恵はいらない。

好奇心がバターのようにぐるぐる蕩けて、油で濁った目が視界を曇らせる。

何もかもにぼんやりとフィルターがかかってよく見えない。

土地の紡いできた歴史、
大切な人の生命のことさえも。


工場近辺では奇形がよく見られた。

小さな頃、畦道を走り回っていて踏んでしまったカエルもそうだった。

頭が前後に一つずつ付いており、半分がみどり、半分が土色をしたアマガエル。

私の素足と履いていたサンダルにより圧死した死体は、足から離れた後も不服そうに私を睨みつけていた。

まるで、私の足とサンダルが交尾して産まれた結果としての生命が自分であり、それを捨てた私を恨めしく思っているように。

実際、私の足とサンダルが生み出したのかも。

本当のことはわからない。



町には人間の奇形もいた。

「あそこん家にはおちんちんとおまた両方ついてる人がいたんだよ」

ある日祖母と散歩しているとき彼女が放った言葉に、小1だった私は驚き過ぎて声も出なかった。

祖母が顎で差し示した家は、手入れされた草花が咲き誇る小綺麗な平屋だった。

玄関には東北には似合わない朱色をしたハイビスカスが艶やかに咲き誇っていた。

「気をつけないとね」

何を気をつけるべきかわからないまま、祖母の後ろを無言でついて行く。

あの日の祖母の言葉の裏にあったものは理解できないものに対する本能的な嫌悪だったのだろうか。

今はもうそれを知る術さえない。

祖母の心は、跳んでいってしまったから。

町を信じた代償として。


誰も原因を突き詰めようとしない真実。

目を上げれば、すぐそこにあるのに。

こんなになわかりやすい形で。


突き詰めない理由に問いなんか必要ない。


町の誰もがわかっていて、心の小箱にしまい込んでいる。


「おまんまくえなぐなっぺよ」


見えない鎖に繋がれた子供達もまた同じ道を辿る。


延々と繋がれる鎖。


この鎖は観光街然り、原発城下町しかり、いろんなところで見られるものだけれど、
目を瞑ってやり過ごすことが苦手な私はこうやって、問い詰めていつもみんなに嫌われる。

「いわなぐでもわがっぺ」

私だけが大人になれないでいるのか。


いつかこの鎖を解き放つことが町の人の幸せになるとは限らないことはわかっている。

敷かれたレールをいつまでも歩んでいきたい人は、意外とたくさんいるから。

いつかどこかでこの気持ちを分かち合い、一緒により良い未来を模索してゆける人と出会えたなら、それだけで私は嬉しい。

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