プリティーシリーズを見てください_

「純粋なもの」を求めて;『KING OF PRISM』を見てください!

応援上映」という言葉が話題になったことを覚えているだろうか。その「応援上映」が広まるきっかけになったのが『KING OF PRISM by Pretty Rhythm』だ。今回は成人女性ファンに一大旋風を巻き起こした『KING OF PRISM』の魅力の一部を紹介したいと思う。『KING OF PRISM』の魅力は「応援上映」の楽しさだけでなく、私たちが求める「純粋なもの」を描く終わりのない物語にもある。そのことをストーリーの一部から読み解いてみよう。

話題になった『KING OF PRISM』

2016年4月12日、朝の報道番組『めざましテレビ』にてアニメ映画の特集が放送された。そのアニメは『KING OF PRISM by Pretty Rhythm』。女の子向けアニメ「プリティーシリーズ」から派生した作品だ。
番組内で話題になったのは『KING OF PRISM』の特徴である「応援上映」。これは映画館の中で大声を出してよし、ペンライトを振ってよし、コスプレしてもよしとして、まるでアイドルのコンサートさながらに映画に登場するキャラクターを応援するイベントだ。「応援上映」はあまりに斬新な上映スタイルとしてすぐにファンを熱狂させ、映画館は連日満席となり、アニメ映画の1作品として異例な丸1年以上のロングラン上映を複数の映画館で実現する程ヒットした。
同じく番組内で『KING OF PRISM』のブッ飛んだ内容が紹介されたことを覚えている人もいるかと思う。特にキャッチーだったのは劇中のメインキャラたちが「ギリシャ神話になって銀河鉄道でハリウッドに行って星座になるシーン」の紹介。この言葉を直接web検索してみるとわかると思うが、『KING OF PRISM』には本当にこの通りのシーンが存在する(ちなみにファンはこのシーンを涙無しに見ることができない)。

『めざましテレビ』での放送以降もSNSなどで度々話題になった『KING OF PRISM』だが、テレビで見て名前だけは知っているが見たことはないという人はいないだろうか。今回の記事ではそんな人たちに向けて、話題の陰に隠れた『KING OF PRISM』の物語の魅力を紹介したいと思う。この映画にはファンの心を捕らえて離さない純粋で奥深いテーマが隠れている。その一端に触れて是非とも今度は実際に『KING OF PRISM』を視聴してほしい。

KING OF PRISM』とは『KING OF PRISM by Pretty Rhythm』(2016年)と『KING OF PRISM -PRIDE the HERO-』(2017年)が公開されたスピンオフ作品のシリーズである。スピンオフの元になったのは『プリティーリズム・レインボーライブ』(2013年)という女の子向けアニメだ。スピンオフ元に登場した男性プリズムスタアを中心に新しい物語を描いている。

プリズムスタアと言うのは「プリティーリズム」シリーズに登場するエンターテイメントショー「プリズムショー」をする選手のことだ。プリズムショーには観客を楽しませる芸能としての一面演技を競う競技の一面がある。

KING OF PRISM』の中心になるのはプリズムスタアの才能に恵まれた神浜コウジ速水ヒロ仁科カヅキのチーム「Over The Rainbow」。彼等はプリズムスタアの養成学校である「エーデルローズ」の代表として活躍する。
しかし「エーデルローズ」に恨みを持つ法月仁(のりづき じん)という人物の手によって、「エーデルローズ」は存続が脅かされる程の負債を押し付けられてしまう。存続するための唯一の手段として「Over The Rainbow」は活動休止することを決断する。コウジ、ヒロ、カヅキの3人は「エーデルローズ」の未来を才能ある新入生一条シンに託し、プリズムスタアとしてそれぞれの道で高みを目指すのだった。

以上が『KING OF PRISM』の概要だ。この作品の一体何がファンを熱狂させ、「応援上映」の席を1年以上にわたって満席にしたのか。その答えの一つが、上で紹介した物語の中に隠れている。鍵になるのは「エーデルローズ」と法月仁という人物の対立である。

『KING OF PRISM』の物語の軸

法月仁という人物は「エーデルローズ」に敵対する組織「シュワルツローズ」の指導者である。元々は「エーデルローズ」の主宰としてプリズムスタアの育成と芸能活動を支配していたが、追放されている(この経緯はスピンオフ元の『プリティーリズム・レインボーライブ』で描かれている)。指導者としての彼は狡猾かつ非情で、プリズムスタアが芸能人として売れることと競技に勝つことの為ならどんな手段も選ばない。別人が作った曲を宣伝の為にスタアの自作と偽ることや大会の審判団を買収することを繰り返している人物だ。
対する「エーデルローズ」の面々はプリズムショーの素晴らしさを広めることや自分の誇りをかけて高みを目指すことのために活動している。その挑戦がどのような形でプリズムショーに表れるのかは実際に視聴して確かめてもらいたい。今から話題にしたいのはプリズムショーの奥底に隠れた「純粋なもの」と、対立する「エーデルローズ」および法月仁どのように向き合っているかということだ。

私が過去の記事で紹介したようにプリズムショーでは本来目に見えない心的なものを直接表現して観客に伝えることができる。「エーデルローズ」が信じるのはそんなプリズムショーの一面であり、心的なものが表現される時の美しさを彼等は「プリズムの煌めき」と呼んで追い求めている。彼等は嘘偽りが無くかけがえのない心のあり方を表現するプリズムショーを最も尊重している。
対する法月仁の姿勢は、心的なものを全く尊重していない。彼が信じているのは芸能人としての売り上げと流行を作る興業のカラクリと世の中を好きに動かす財力、そして権力だ。彼が狡猾で非情な人物として描かれている最大の理由は、彼が人の心を信じないからに他ならない。法月仁と「エーデルローズ」の対立は人の心を信じる者と信じない者の対立なのだ。

『KING OF PRISM』の物語はこの対立が軸になっている。『KING OF PRISM』は人の心を信じる「エーデルローズ」のプリズムスタアが自分の心と仲間や観客の心に向き合いプリズムショーの高みに登る物語である。法月仁は「エーデルローズ」にとって乗り越えるべき対立者なのだ。

『KING OF PRISM』と私たちの「純粋なもの」

『KING OF PRISM』が魅力的な理由の一つはこの対立関係の影の部分、すなわち法月仁の悪行が際立っていることにある。「エーデルローズ」の魅力はプリズムショーの優れた演出(これも作品の最大の魅力の一つ)によって描かれるが、法月仁の描写はプリズムショーと対照的にリアルだ。法月仁は財閥の支配権争いを利用して「エーデルローズ」に貸し剥がしを行い、雑誌記者を利用して敵対するプリズムスタアをスキャンダルで追放する。
これらの悪行は非日常的なものに見えるが、プリズムショーの描写に比べると格段に現実的なものだ。法月仁の立場は「エーデルローズ」の面々よりも現実に生きる私たちの立場に近い。その立場はつまり、現実の私たちは直接に「純粋なもの」を手にできないという立場だ。

私たちは歌や演劇などの芸術の価値を、金銭や権威に影響されない「純粋なもの」と考えることがある。「純粋なもの」と呼ぶことで表現したいのはかけがえのなさ再現ができないこと説明ができないことだ。例えば歌の価値について、その歌を聴く体験は全く同じものを繰り返すことはできないと考えるのは再現できない「純粋なもの」について考えているからだ。歌の価値を金銭に代えられないと考えること、楽譜に書かれた歌と実際に演奏される歌は違うと考えることも同じように「純粋なもの」を念頭に置いている。

『KING OF PRISM』の劇中のプリズムショーという芸能においても「純粋なもの」は目に見える成功の陰に隠れている。法月仁という非情な人物が登場することでプリズムショーの「純粋なもの」はただのファンタジーであることをやめてしまう。彼の悪辣な行動は「純粋なもの」を求めながら手に入らない私たちのジレンマを生々しく刺激する。このことが『KING OF PRISM』の物語の優れた点だ。

終わることがない『KING OF PRISM』

『KING OF PRISM』の物語は「純粋なもの」を求める思いと、「純粋なもの」が手に入らない現実とのせめぎ合いである。「純粋なもの」を求める「エーデルローズ」のプリズムスタアたちがどんなプリズムショーで「純粋なもの」を表現するのか、その答えは『KING OF PRISM by Pretty Rhythm』と『KING OF PRISM -PRIDE the HERO-』を見て確かめてもらいたい。しかし一方で「純粋なもの」を巡る私たちのジレンマは本質的に終わりの無いものだ

目に見えない、手にすることのできない「純粋なもの」は最後まで自分のものにできない。だからこそ私たちファンは何度も繰り返して『KING OF PRISM』を見るのだと思う。「応援上映」という体験型イベントに通い、場面によっては支離滅裂ですらあるこの映画を何回も見て、私たちは他の何かに替えられない「純粋さ」を感じている。見終わった時には目の前から消えてしまうその「純粋なもの」がもう一度通う『KING OF PRISM』の劇場、そしてもう一度見る『KING OF PRISM』の物語にはあると私たちは信じているのだ。

以上、『KING OF PRISM』の終わることがない魅力について紹介してきたが、いかがだったろうか。最後にもう一つ紹介しておきたいことがある。『KING OF PRISM』自体もまた、終わることがないのだ。

『KING OF PRISM』は2019年春から続編が公開されることが決定した。続編のタイトルは『KING OF PRISM-Shiny Seven Stars-』。これまでの2作の中心であったコウジ、ヒロ、カヅキの3人にかわって、一条シンたち「エーデルローズ」の若きプリズムスタアに焦点を当手たストーリーになると発表されている。彼ら若きスタアたちもまた、プリズムショーに純粋な思いを持ち、なおかつ自分たちの現実に悩みを持つ者だ。彼らの物語もきっと私たちを魅了して止まないだろうと私は断言する。『KING OF PRISM』の終わらない物語の継承をぜひ共に応援してほしい。


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