漢字の読み方がたくさんある理由を考えてみた 日本語の漢字の基礎
はじめに
最近遅ればせながらYouTubeにはまったのは、いいとして、日本語が難解でその話者である日本人はすごいみたいな動画が結構あるのに驚いた。決して簡単だとかいうつもりはないが、日本人がすごいということにはならんだろと思い、キーボードをたたいている。
日本語学習者にとって漢字に読み方がたくさんあるのが難しいことの一つらしい。
漢字の読み方が複数あるのはどうしてかというのを高校生までに習う歴史や国語の授業の内容から説明したい。
古代、日本人は漢字で語る
そもそも古代において日本人は文字を持たなかった。神代文字とか怪しいものは置いておいて、中国から取り入れた漢字を使って文章を書いているのを見るに文字の発明はなかったと見ていいだろう。
外国の方で日本語の学習されている方は基本的に日本の歴史はまなばないので、わからないだろうが、日本人なら義務教育でも教える内容なので、万葉仮名の存在を知っているだろう。
万葉仮名といえば、今ではヤンキーでも書かないような当て字のオンパレードである。句読点なんて、現代の記号もないので、大変読みにくい。古代のヨーロッパの言語が分かち書きもピリオドなどの記号もないので、読みにくいのと同じである。下手したら、日本語をいったん中国語に翻訳して文章化した方がまだ読める文章である。というか万葉仮名誕生以前はそうだった。ただ一々中国語に翻訳して簡単に読めるようにするのも億劫だ。
唐突だが、ここで私は筑摩書房から出ている精巧 漢文という本で勉強したので、おすすめしておく。一回はちゃんと漢文をしっかり勉強しないことには漢字の読み方をしっかり勉強できるとは思わない。中学、高校で習う漢文教育をちょっとやれば分かるけど、漢籍を日本語として読むための知識をならうもので日本語の中の漢字を読む基礎の部分に存在する。
色々すっ飛ばすして、話を進めようと思う。小学生でも知っていると思うけど、日本語での漢字は音読み、訓読みと熟語特有の特殊な読みがある。音読みも複数ある時がある。
音読みは中国での発音由来で、中国語での発音が日本語風になまったものだ。なんで複数音読みがある漢字が存在するかというと、時代で言葉の発音が変ったり、文献の輸入先の地域がちがったりといったところだ。
上述している通り、万葉仮名は読みにくい、さりとて、中国語に翻訳してというのも億劫だし、難しい。
なので、漢文訓読が生まれる。中高生で、漢文の学習をやると思うが、あれは結局、漢字の訓読みの練習なんだよな。漢文軽視の風潮が漂って、とりあえず、明治時代に生まれた漢字2文字系の単語とカタカナのビジネス用語を使ってなんとなく仕事したり、勉強したりする人が増えたのでは?
閑話 難読漢字は日本人でも難しいので・・
外国の方が日本人に難読漢字をクイズで出題されて日本語難しいよ、といわせるまでのセットがわたしはあまり好きでない。多く日本人でさえ読めない漢字を初学者が読める必要って何だろう。多分ない。
漢字の訓読みは基本音でなく意味を合わせた当て字のようなものなので、類推するには日本語の語彙がそれなりにないと難しい。個人的には漢字2文字の単語は初学者にとっては地雷原のようなもので、英語でいうと、giantとgiftはgの発音が違うが、英語初心者が読めない感じに似ている。
it関連だとGIFは読み方で散々こまった。だってgiftはギフトとよむのに、gifはジフってなんか気持ち悪いと愚痴ってみる。
日本語で漢字を使う理由
正直、漢字を使う理由がわからないと日本語初学者のとき、苦しいと思う。
ひらがなだけの文章、カタカナだけの文章は意外に読みにくいのだ。大人になって、小学一年生の教科書や未就学児向けの絵本が読みにくいと感じたことはないだろうか?
この読みにくさは、ヨーロッパの言語で分書がない状態に似ている。漢字は日本語の文章を構造化するのにかなり便利なのだ。あまり句読点がなくても、文章が読みやすいのは漢字のおかげだろう。正直ハングルはどこからどこまでが単語の区切れか分かりにくい。
あと日本語は明治時代に単語が急速に増えた。それまで日本にはなかった西洋の概念や技術などの用語を文化とともに大量に輸入したからだ。そのため、同音異義語が多くなった。硬い文章を書こうとすると、ひらがな、カタカナだけでは同音異義語だらけで読みづらいことこの上ない。なので、漢字を用いている。漢字の部首は多義語に付き、意味を限定するものらしい。
ここで日本には厄介な現象があり、文章なら区別がつくが、話し言葉では区別がつかないような言葉をわざわざ間違って読んで、区別をつける慣習がある。このため、海外の日本語学習者は混乱するのではないか?
この慣習で知らない読み方が増えたと誤解した外国人が何人いるだろう。
日本語がクソではなくて日本人が悪いのでは?
日本語が難しいというのは、日本語自体ではなく、日本人の日本語運用の問題かもしれない。
言文一致以来、日本語は何かをなくしているのかもしれない。時代が進めば進むほど、無くした何かを想っていくのか、それとも忘れていくのか?
日本語学習という観点から深く考えさせられる。
24/04/19 追記
本記事なんかロングテール的にPVがあるけど、理由がわからなかったので、タイトル詐欺っぽくなっているかもと思い、変更してみました。
これを書いたころから大分時間が経ちましたが、ますます日本語は歴史を忘れていっているようです。
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