三角関数と陰謀論と各々の世界

三角関数と地球平面説

三角関数を定期的には不必要という人たちがいるのはなぜだろう。他の分野ではダメなのか?よっぽど高次の代数方程式の方が日常で使わないぞ。よくわからない。多元一次方程式はよく解かれるかもしれないが、流石に昨日は3次方程式の仕事で大変だったよ、とか聞かない。
階段の登るつらさは段数だけではないということを感覚でなく、理屈でわかるには三角関数の概念が解らないといけない。周期的なものを利用とするには三角関数を利用するのが簡単だ。
三角関数がいかに日常に潜んでいるかを語ってもいいが、急な方向転換してみる。日常に潜んでいても、日常に感じられないなら、不必要に感じてしまう。そう考えると、三角関数の学習が不必要という人は地球平面説を信じる人とそう変わりはないのではないだろうか?平面説を信じる人たちは地球が球面だという感覚が日常にない人たちだ。日常に感じれないことは人は信じない、もしくは机上の空論のように感じる。つまり彼らには究極的にはどちらでもいいのだ。三角関数を学ぶのは不必要でも地球平面説や創造説を信じるのはおかしいという考えは両立しないのでは?

陰謀論とポピュリズム

ポピュリズムは陰謀論を使うことがある。ヒトラー率いるナチスはユダヤ人がドイツの富を独占してドイツの労働者を貧困に追いやっているという話を使ったように。
「高校教育で女の子にサイン、コサイン、タンジェントを教えて何になるのか」「社会の事象とか植物の花や草の名前を教えた方がいい」「三角関数よりも金融経済を学ぶべきではないか」「三角関数は生きていくのに必須な知識ではないのだから、選択制にすればよい」
どれもわかりやすい主張だ。わかりやすい言葉で民衆の心をつかもうとしたのか。
最後のセリフが一番政治家が言ってはいけない言葉だろう。そもそも三角関数は義務教育で習わない。選択も何も必修ではないのだ。どっちかというと社会に出るのに知識が義務教育で完結しないということを暗に言ってしまっている。そうでなければ高校以降の勉強を選択制にすべきなど言わないだろう。このあと義務教育の見直しの必要性などの発言もない。義務教育とは何のためにあるのだろう。また究極的に進化論や地球が丸いことを教えなくていいと言い始めかねない発言だ。わかりやすい言葉は複雑な社会で本当に効果的なものを提示できない。

各々の世界と陰謀論

陰謀論のようなことは日常生活に影響がないなら、信じても問題ないといっていいんだろうか?
「生きていくのに必須な知識ではないのだから、学ぶ必要はない」なら、実際には多くの人が地球平面説、インテリジェント・デザイン説を信じていても、社会生活をするのに問題ないのだろうか?
これらを真剣に議論する必要があるかもしれない。

最後に

最近、体調がわるく、思考がまとまらないことが多く、今回もポエムのような内容になったのが残念であり、宗教観と陰謀論と科学的知識の関係についてまで書きたかったけど、この辺でまとめておかないのと破綻しそうだったので、これにて今回は筆をおきます。


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