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世間の『性善説』の誤解がひどい

人間は生まれたときは白紙のように生まれる

性善説とはなんなのかということから。そもそも儒教における孟子の説の一つです。ジョンロックなどの『タブラ・ラサ』に近い考えで人間は白紙のままま生まれてくるという考えです。

ちょっと話は逸れるけど、儒教の理想の国は堯 舜 禹の頃の過去の礼がちゃんとなされる時代ということなんですが、時代をさかのぼれば理想郷があるというのはなんかちょっと現実的で、西洋との違いだなと思ってしまいます。
礼がちゃんとなされていれば人身穏やかに平和に国が治るという感じで、逆にいうと礼がきちんと為されなければ、人身は荒れ国が荒廃するということらしい。

話は戻って、孟子は有名な故事があって孟子のお母さんは住んでいるところに孟子が勉強に集中できないような要因があり、孟子がサボっちゃうと引っ越してしまうくらい勉強ママだった。そしてそのおかげで偉い儒教の学者になりましたという話なんです。
この話は水は低きに流れるもので、きちんと教育を受け、規律を守らなければ人は堕落していくということです。ここからわかるように性善説とは人はそのままだと堕落して怠け者になるという説なんです。

世間ではよく人は善性を有していて信じることから入ろうみたいな文脈で使われるけど、正直正反対の意味なんですよね。

性悪説は荀子が人は悪だから法律で縛らなあかんというようなことをまとめた説で結局性善説と同じ結論になるんですよ。なので、性悪説と性善説を対立させるのは間違いなんです。

とここまで書きましたが、普通にwikiに間違った使用例みたいな項目があって注意してあってわざわざ本記事作る意味あったかなと思いつつここで今回はしめます。

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