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アドラー心理学㉜神経症的なライフスタイルを持った人

話は少し違う角度からになります。

Q:
私が他者信頼や自己受容をできないのは、私のことを理不尽に攻め立て攻撃してくる他者のせいもあるのではないか?

A:
勿論世の中は善人ばかりではない。しかし、間違ってはいけないのは攻撃してい来るその人に問題があるだけで決してみんなが悪いわけではないという事実。

神経症的なライフスタイルを持った人は「みんな」「いつも」「すべて」という言葉をよく使う。みんなが自分を嫌っている、いつも自分だけ損をする、全て間違っているなどのように。もしこれらの言葉を口癖としているなら注意が必要です。

アドラー心理学ではこうした物事の一部だけをみて全体を判断する生き方のことを

「人生の調和を欠いた生き方」

だと考える。

例)ユダヤ教の教えにこんな教えがある。

10人の人がいて、1人はどんなことをしてもあなたのことを嫌っている。2人は互いに信頼している。残りの7人はどちらでもない人々。

この10人がいた時に、あなたのことを大好きな2人にフォーカスするのか、その他の7人にフォーカスするのかはあなた次第で決められる。

人生の調和を欠いた生き方をしている人は、自分のことを嫌ているごく一部の1人にフォーカスを当ててそこから世界を判断してしまい、みんな私のことを嫌っていると考えてしまう。

⇒これが人生の調和を欠いた誤ったライフスタイル

例)ワーカホリックの人もまた、人生の特定の側面だけに注目している

仕事が忙しいから過程を顧みる余裕がないと弁明する。これはアドラーの説く「人生の嘘」である。仕事を口実に他の責任を回避しているに過ぎない。これは人生のタスクから目を背けた生き方である。

本来は家事や子育て、友人との交流や趣味にも関心を寄せるべきであり、どこかが突出した生き方をアドラーは認めない。「仕事」とは会社で働くことだけを指すのではない。家庭・地域社会での貢献や趣味などあらゆることが仕事であって、会社での仕事などほんの一部に過ぎない。

会社のことしか考えないのもまた人生の調和を欠いた生き方だといえる。


10人いるグループの1人から文句を言われたら、そのグループの人みんなが私のことを嫌っている、文句を言っている、敵対している。などと考えてしまう人いますよね。実際にはその人1人というマイノリティーでしかないのに。人生の調和を欠いた生き方はとても視野の狭い世界になりそうですね。
さて、次からは幸せになるためには?といった具体的な話が始まります。
ここからアドラーのクライマックスですね。

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