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アドラー心理学”㊱”あなたはもっと真剣に、今ここだけを生きるべき

Q:
まぁ過去は変えなれないので過去を見ないというのはわかるけど、計画性まで否定したら自らの意思で未来まで変えることを否定することになるのでは?そんなものは道なき道を目隠しで歩いているようなのだ!


という反論に対し

A:後ろも前も見えないことのどこに問題があるのですか?
自分が劇場の舞台に立っていることを想像してください。会場全体に蛍光灯がついてれば客席の一番奥まで見渡せるでしょう。しかし自分に強烈なスポットライトが当たっていれば最前列さえ見えなくなる。

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私たちの人生も同じで、

人生全体に薄らぼんやりとした光を当てているからこそ過去や未来が目るような気がしてしまう。

今ここに強烈なスポットライトを当ててたら過去も未来も見えなくなる。

私たちはもっと真剣に、今ここだけを生きるべきなのです。

過去が見えるような気がしたり、未来が予測できるような気がしてしまうのは、あなたが今ここを真剣に生きておらず、薄らぼんやりとした光の中に生きている証。

人生は連続する瞬間(刹那)であり、過去も未来も存在しない。

あなたは過去や未来を見ることで、自らに免罪符(言い訳を)与えようとしている。

過去に何があったかなどあなたの今・ここには何の関係もないし、未来がどうなるかなど、今・ここで考える問題ではない。「今・ここ」を真剣に生きていたらそんな言葉など出てこない。

フロイト的な原因論に立っていると、人生を因果率に基づく大きな物語としてとらえてしまう。いつどこで生まれでどんな家庭で育ちどこの学校をでてどんな会社に入ったか。だから今の私がいてこれからの私がいるのだと。

こうした物語を作るとぼんやりとした、その物語に沿った未来が見えてしまう。私の人生はこうだからその通りに生きる以外にない。悪いのは私ではなく過去であり環境なのだと。ここで持ち出される過去は免罪符(言い訳)であり人生の嘘に他ならない。

人生は瞬間瞬間の連続・点であると理解できると物語は必要なくなる。縦に見える過去の生は、あなたが変えないという決心を繰り返してきた結果、直線に映っているるだけに過ぎない。

これから先の人生は全くの白紙であり進むべきレールなど敷かれていない。

今ここにスポットライトを当てるという事は、今できることを真剣かつ丁寧にやっていくこと。


なかなかはっきりとしたわかりやすい教えが多かったですね。過去や未来にとらわれるのは今に焦点を当てて一生懸命生きていないからだということでした。

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