アドラー心理学⓮あなたは他者の期待を満たすために生きているわけではない

【承認欲求を封じる】
~貨幣は鋳造された自由~

すべての悩みは対人関係の悩みである。人間関係が悩みになるのは他者を敵と考えるか仲間だと考えるか。他者を仲間だと考えることが出来れば見方も変わってくる。

例えば、両親の意に沿って進路を決めたときの心境はどうだろう?
認めてもらえる=承認欲求
となる。人間は常に他社からの承認を必要としながら生きている。両親から認めてほしかったから、親の望む進路を進んだ。

アドラー心理学では「他社から承認を求めることを否定する」

他者から承認される必要なんてない。承認を求めてはいけない。

(ドーーン・・・来ました。現代社会で一番痛そうなセリフ)


【あの人の期待を満たすために生きてはいけない】

人はなぜ承認を求るのか?なぜ他者から褒められたいと思うのか?
それは、他者から認められてこそ我々は自分に価値があるのだと実感することが出来るから。他者からの承認によって劣等感を払拭したり自分に自信を持つことが出来る。そう思っている。が、

劣等感とは「価値判断」の問題である。

例えば、ゴミを拾って誰にも気づかれず誰からも感謝されなかったらあなたはごみを拾い続けますか?みんなのためにごみを拾ってるのに感謝の言葉一つもらえなかったらやめてしまうかもしれない。

承認欲求を求めるのは「賞罰教育」の問題

適切な行動をとったら褒めてもらえる。不適切な行動をとったら罰せられる。アドラーはこうした賞罰による教育を厳しく否定する。なぜならこの賞罰教育の末は、

褒めてくれる人がいなければ適切な行動をしない。


裏を返せば、罰せられなければ不適切な行動をする。となってしまうからだ。

承認が得られないと苦しい。他者からの承認が得られなければ自身が持てない。果たしてその生は健全だといえるのでしょうか?神が見ているから善幸を継ぐと考える。しかしそれは実際には存在しないのだからどんな悪行も許されるというニヒリズムと背中合わせの思想である。

たとえ神が存在しなかったとしても神からの承認が得られなかったとしても私たちは生きていかなければいけない。

あなたは他者の期待を満たすために生きているわけではない。

自分が自分のために自分の人生を生きていなのであれば、一体だれが自分のために自分の人生を生きてくれるだろうか。

他者の承認を求めて他者からの評価ばかりを気にして生きていると、最終的に他者の人生を生きることになる。

承認が欲しいがあまり、他社抱いたがこうなってほしいという像を追い求めるあまり、あなたは本当の自分を捨てて他者を生きることになる。

仕事の主観が他者の期待を満たすことになってしまったら仕事は相当苦しいものになるでしょう。なぜなら、いつも他者からの視線を気にして他者からの評価におびえ「自分が私であること」をを抑えているわけですから。

アドラーは言う。意外なことにカウンセリングを受けに来る人にわがままな人はほとんどいません。むしろ親・教師・上司など他者の期待に応えようとして苦しんでいる。いい意味で自分本位にふるまうことが出来ない人が多い。

また、同様にあなたが他者の期待を満たすために生きていなのだとしたら、他者もまたあなたの期待を満たすために生きているのではない。

だから他者が自分の思うとおりに動いてくれなかったとしても、怒ってはいけない。


この章も現代社会に生きている私たちにとって結構グッとくる内容だったかと思います。承認欲求を否定するのは、え・・・となるかもしれませんが、確かに人の期待に応えるように自分を削りながら生きるってそれはもう自分ではなくなっている。そんな人生は他人の人生を生きていることになる。それでは幸せとは言えませんよね。そして、相手も自分の理想通りに動くことを期待するなという話ですね。じゃー身勝手になって好き放題すればいいのか?というとそうでもない。じゃーどうしたらいいのかという話が次の章に出てきます。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?