アドラー⑨劣等感だと思っているものは実は劣等コンプレックス

【優越性の追求】

勘違いしている人も多いが、劣等感それ自体はなにもわるいものではない。人間は多かれ少なかれ向上したいと願うこと、無力な状態から脱したいもっと向上したいという普遍的な感情を持っている。

それと対をなすのが劣等コンプレックス

向上したい理想がありそこに向かって前進しているが、理想に到達できていない自分に対しまるで劣っているかのような感覚を抱く。

例えば、一流の料理人でも志が高ければ高いほど、まだまだ未熟だ。もっと料理を極めなければ!といったある種の劣等感を得抱く。

優位性の追求も劣等感も病気ではなく、健康で正常な努力や正常な成長への刺激である。

劣等感も使い方を間違えなければ、努力や成長の促進剤となる。劣等感をばねにし、より前進しようとする。現状に満足することなく一歩先に進もうとする。もっと幸せになろうとする。こうした劣等感の在り方には何も問題がない。

じゃーなぜ劣等感はよくないというイメージなのか。それは

一歩踏み出す勇気をくじかれどうせ自分なんてと最初からあきらめてしまう人たちがいる。それは劣等感ではなく

「劣等コンプレックス」

とよぶ。ある種の言い訳に使い始めた状態のことを指す。

例えば、学歴が低いから成功できないと考える。
「AであるからBできない」というのは劣等感の範疇に収まらない劣等コンプレックスといえる。

何の因果関係もないところに、あたかも重大な因果関係があるかのように説明し自らを納得させる。

簡単な例だと、「自分が結婚できないのは両親が離婚しているから」などだ。これらは、フロイド的には大きな因果関係があるといえる。だが、アドラーはそれを退ける。

その”原因”ではなく、そうした問題にどう立ち向かうか

というほうが大事だからだ。

学歴が低いから成功できないと考えているとしたら、成功できないのではなく成功したくないのだと考えないといけない。

それは一歩前に踏み出すことが怖い。努力したくない。遊びを犠牲にしてまで変わりたくない。変わる勇気を持ち合わせていない。今のままでいたほうが楽だから。ということになる。

これがアドラーの「目的論」です。フロイトの「原因論」のように、●●だから××できない。のではなく、「変わりたくない」という目的が先に来て、その目的を達成するためにあなたは今の行動をしている。ということになる。

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