アドラー心理学④実は怒りは瞬時に出し入れ可能な感情

目的論の詳しい詳細を具体例と共に!

【人は怒りを捏造する】

あなたは、コーヒーをお気に入りの洋服にこぼされ、かっとなってウェイターを怒鳴りつけてしまった。突発的な出来事だったから考えるより先に声が出てしまった。これは不可抗力であるという。

つまりあなたは、怒りの感情に突き動かされて怒鳴ってしまった。
普段は温厚なのにその時は怒りの感情に抗することができなかった

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では仮にそのとき刃物を持っていたとして、カッとしたはずみに相手を刺してしまったとする。その場合も、これはどうすることもできなかった。不可抗力だったと弁明できますか?

この理屈を突き進めると、人は感情にあらがうことができないというのなら、怒りに突き動かされて行った行動はすべて怒りのせいであって当人の責任ではないということになってしまう。
(なんかソクラテスっぽい話になっています)

ということは、それは怒りに駆られて大声を出したわけではない。
大声を出すために怒ったのだ。

大声を出すという「”目的”を叶えるため」に怒りという感情を作り上げた。

いかり

「大声を出す」という目的が先にあった。
ようは、大声を出すことによってウェイターを屈服させ、自分のいうことを聞かせたかった。その手段として怒りという感情を捏造した。という主張です。

(ほぉ。。急に面白い展開になってきます。)

大声を出さなくてもウェイターは適切な処置をとったはず。それをわかっていつつも、言葉で説明する手段を面倒に感じ無抵抗な相手をより安直な方法で屈服させようとした。その道具として怒りという感情を使った

なぜなら、

怒りは一瞬の感情であるからだ。


例えば、あなたが怒鳴りあいの喧嘩をしている最中に会社から電話がかかってきたとする。すると、喧嘩は一旦停止して落ち着いたよそ行きの声で丁寧にその電話に対応する。そして、電話が終わったとたんにまた怒鳴りだす。つまり、

怒りとは瞬時に引っ込めることもでき、引き出すこともできる「出し入れ可能な感情」なのだ。

大声で相手を威圧して自分の主張を通すために怒りの感情を使っているということになる。

というお話でした。

やっと目的論とやらが何となくこういうことなんだと分かり、トラウマについても少しすっきりして、へーなるほどね。と少し面白い主張が出てきたたとこで次からやっと本題の、じゃーどうやって幸せになるのよ!っという一番最初のアドラーの教えの中核に触れていきます!

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