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アドラー心理学㉟旅の目的は山頂にたどり着くことですか?

人生設計など不可能だという話でしたが、

Q:
小さいころからバイオリニストを目指して猛練習し、ついには憧れの楽団で演奏する人生や猛勉強の末に司法試験に合格して弁護士になるような人生など、目標と計画なしにはあり得ない人生ではないか?登山で山頂を目指すために黙々と歩いてきた人生ではないか。

という反論に対し、

A:
彼らはどの瞬間も途上としての人生を生きていたのではなく、今ここに生きていたのではないでしょうか?

例えば、バイオリニストになる夢を持っている人はいつも目の前にある楽曲だけを見てこの一曲、この一小節、この一音だけに集中していたのではないか?

人生とは今この瞬間(刹那)をくるくるダンスするように生きる、「連続する瞬間」なのです。そして、その一瞬を繰り返してふと周りを見渡した時に、こんなところまで来ていたと気づく。

もちろん途中で違う道に進んだ人もいるだろうが、いずれにしても途上で終わったのではない。ダンスを踊っている今ここが充実して入ればそれでいい。ダンスは踊ることそれ自体が目的であってどこかに到達しようと思って踊っているわけではない。踊った結果どこかにたどり着くこともあるというだけで目的地は存在しない

◍目的地に到達せんとする人生は「キーネイシス的(動的)な人生」という事ができる。

◍ダンスを踊るような人生は「エネルゲイヤ的(現実活動態的)な人生」という事ができる。

アリストテレスの説明によると

キーネイシス】⇒始点と終点があり、その始点から終点までの運動はできるだけ効率よく速やかに達成されることが望ましい。特急列車に乗れるのなら各駅停車に乗る必要はない。弁護士になるという目的地があったらなるべく早く効率的にそこにたどり着くほうが良い。そして目的地にたどり着くまでの道のりは目的に到達していないという意味で不完全(道半ば)であるという考え。

キーネイシス的な考えだと、もし登山の目的が頂上に到達することにあるのならヘリコプターで頂上に行き、5分滞在したのちにヘリコプターで直帰する。そして、山頂にたどり着けなかった場合はその登山は失敗だという事になる。

【エネルゲイヤ】⇒過程そのものを結果とみなすような動き。今なしつつあることがそのまま成してしまったかのような動き。

旅の目的は何でしょう?例えばエジプトに旅をするときなるべく早く効率的にピラミッドに到着し、そのまま最短距離で帰ってこようとしますか?そんなものは旅とは呼べませんね。

家から一歩出た瞬間からすでに旅であり目的地に向かう道中もすべての瞬間が旅である。目的が頂上に到達することではなく登山そのものだとかんがえ、山頂にたどり着くかどうかは関係ない。もし何かしらの事情でピラミッドにたどり着けなかったとしても、旅をしなかったことにはならない。というのがエネルゲイヤ的な人生。


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