アドラー心理学㉘存在しているだけで価値がある

【ここに存在しているだけで価値がある】

それでは、生まれたての赤ん坊や寝たきりの老人は他者に貢献できていないから、生きる価値がないのか?

アドラーはそれを否定する。それは他者が何をしたかという「行為の観点」からみているからで、存在していること(=生きていること)それ自体に感謝する「存在のレベル」で見ていかないといけない。

存在レベルに感謝する

とは、あなたのお母さんが交通事故で意識不明になってしまった時、あなたはお母さんが何をしてくれるかなど考えない。何もできなくても生きていてくれさえすればそれでいい、心の支えになると感じる。そういう事である。

ありもしない理想の子供像からかけ離れるわが子に対し減点していくのではなく、たとえ鬱で引きこもっていたとしても、食事の後片付けを手伝ってくれたら、そんなことはいいから学校に行きなさいなどという親は理想から引き算をしている親の発想だ。ありがとうと声をかけることができれば子供は自らの価値を実感し新しい一歩を踏み出すかもしれない。

余談ですが、乙武さんの話していたことを思い出しました。
「五体満足」という親が子供に望む最低限の姿を満たしていなかった彼ですが、逆にそのことにより全てのことがプラスに働いた。例えば、一生歩けないと思っていたのに短い脚を使って一人で移動できている。腕を使って階段を登れる。など彼のする行為が全て足し算される形になったと。

これとは逆に仕事が全てだと考える人たちは行為のレベルでしか自分を受け入れることができない人たちです。
自分はこれだけの時間を働き家族を養うだけのお金を稼いでいる。社会からも認められている。だらか自分は家族で一番価値が高いのだ。という考えをしていると、誰しも怪我や病気・退職して働けなくなり、子供や他者の援助なしでは生きられなくなる時が来る。この時、行為のレベルでしか自分を受け入れることができない人たちは深刻なダメージを受けることになる。

いや、さすがにこんなのは理想論過ぎる。という反論に対しアドラーは、そうだとしても誰かが、あなたが、始めなければならない。他の人が協力的かどうかは関係ない。


という事です。嫌いな人に対してこういう考えを持つ必要はないと思いますが、それでも難しいですね。自分に対してのことは書いていませんでいしたが、仕事が全ての人の裏を返すと。自分に対しても同じように存在のレベルで認めることが重要だという事ですね。

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