アドラー心理学㉞「今」というのは連続する刹那(瞬間)
他者貢献が幸福だなんて・・・
Q:自己実現的こそが幸福では?
我々人間は優越性の欲求という普遍的な欲求(向上心や理想を目指すこと)を持っている。社会的な成功や難病の特効薬を開発するなど個人的な目標・満足な作品を残そうとする芸術家など。今自分が何をしたいかははっきりとは分からないけど何かをしなければいけないという事はわかっている。夢を見つけ自己実現が達成できた時にこそ真の幸福を実感するはずだ。
自分はこれでいいのだ。普通でいいのだと受け入れることは怠惰ではないのか?歴史上の偉人と呼ばれる人たちが普通をうけいれただろうか?そんなはずはない。何か大きな理想や目的を掲げて生きていたはずだ。アドラーの理屈からは一人の天才も生まれないことになってしまう。
A:普通であることの勇気
なぜ特別になる必要があるのか?
それは普通である自分が受け入れられないから。
普通であることを拒絶するという事は普通であることを=無能であることととらえている。
「普通であること」と「無能であること」は同義語ではない。
例)人生を山登りにたとえ、人生が山頂にたどり着くための登山だとしたら人生の大半は途上になってしまう。つまり、山を登り切ったところから本当の人生が始まるのだとしたらそれまでの道のりの自分の人生は仮の私による仮の人生となる。
ではもし仮に山頂にたどり着けなかったとしたらあなたの生はどうなるのでしょうか?事故や病気などで登山そのものが失敗に終わる可能性だってある。仮の私・仮の人生のまま人生が中断されてしまったらその場合の生とは一体どうなるのか?
それは自業自得。山を登るだけの体力・才能・運・実力がなかった。としてその現実を受け入れるのが正しいのか?
人生を登山としてとらえている人は人生を線としてとらえている。こういう考え方はフロイト的な原因論につながる考えであり、人生の大半を途上としてしまう考えである。アドラー心理学では
人生は線ではなく点の連続
だと考える。チョークで引かれた線を拡大鏡で見てみると、線だと思っていたものが連続する小さな点であることが分かる。
「今」というのは連続する刹那(瞬間)なのだ。
我々は今ここにしか生きることはできない。
私たちの生は瞬間の中にしか存在しない。
このことを知らない大人は線の人生を押し付けようとする。いい大学・大企業・安定した家庭といったレールに乗ることが幸福なのだと。だが人生に線などありえない。もしも人生が線であればキャリアプランや人生設計も可能であるが、私たちの人生は点の連続でしかないなので人生を設計することなど不可能である。
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