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2011年3月11日からの劇的な変化

これは、2021年3月11日に書いた、書きかけの記事を編集したものです。

この間、久々に東京で数日間、住むように過ごしてみて、
昔の私のように、朝早くから駅に向かう人々に遭遇したのですが、
2011年の頃と比べて、
本当に人生変わったなぁと思いました。

もうかなり長い間、毎日、朝早くから遅くまで、決まった場所に、
決められた服装で、閉じ込められて働く生活をしていましたが、
今はもう、仕事をするときも、時間にも場所にも縛られていません。

あの頃は、「変わるなんて無理」って思ってた。
でも、時間をかければ、ちゃんと思った方向に進んでいけるんだよなぁ。

今、この記事を書いた頃と、また大きく状況が変わりつつあります。

本当に大変だった昔の自分と環境に、感謝とお別れをするためにも、
遅ればせながら、アップしておこうと思います。

あの頃の私

あの頃、私は某業界1位の企業に出向して、業務効率化目的のチームを管理していました。

ある課では、平均90時間の残業を10時間に抑えるなど、
成果は上げていたものの、人の面倒をみたり、動かすのは苦手で、
ほぼ一人で、山積みの問題や仕事を抱え込んでいました。

2011年3月11日、地震発生後。
隣の高層ビルは頼りなくパタパタ揺れて、遠くには煙も上がっていました。

隣のビルからは、続々と人々が出てきて帰りを急ぎ、
周りの人たちも仕事を放り出し、映し出される惨状に大さわぎする中、
私はつづく揺れに酔いながら、
モニターにかじりついて、仕事を続けていました。

その日、メンバーが帰れず、私も会社に泊まることになったのですが、
終電を気にせず、深夜1時まで仕事をできたのが、
むしろ、とても救いになったのを覚えています。

その後、事態は悪化する一方・・

それからは、一番仕事のできるメンバーが電車不通で来れなくなるなど、
震災の影響もあり、業務の状況はますます悪化。

いつ止まるか分からない地下鉄で、片道2時間の通勤。
朝5時台に家を出て、深夜1時に帰宅する毎日。
それでも終わらない仕事・・

「死なないでね」と、出向先の方にも言われていました。
(笑えない・・)

そんな頃、敬愛するスマイルズ Soup Stock Tokyoの遠山正道さんは、
「こんな時も粛々とやっていくだけ」とおっしゃっていて、
とても感銘をうけ、励まされたのを覚えています。

だいすきな東京を離れて地方へ

しかし結局、そんな無茶な状況は続くはずもなく、体を壊して退職。

それから数か月は、ほとんど廃人のよう。
今思うと、うつだったのかもしれません。
もう二度と、笑うこともできないかもしれない、と思っていました。

その後1年ほどは東京にいましたが、満員電車に乗れなくなったり、
だいすきだった東京での生活がつらくなり、
不思議な出会いや導きもあり、とある地方に移住することになりました。

移住初日の衝撃

東京を離れ、新しい土地にたどり着いたときの衝撃は、
今も忘れられません。

豊かな緑、キラキラ光る海、穏やかに語らう人々・・・
時間はゆったりと流れ、数時間前までいた東京で、
追い立てられていたような生活が、嘘のようでした。

最初は、ほしいものもすぐに手に入れられず、仕事も限られ、
言葉も分からずとても不便だと感じていましたが、
最近は、以前より流通など環境が整ってきたこともあり、
比較的心地よく暮らしています。

もし東京で、窮屈な思いをしているなら。
もしかしたら地方は、幸せな選択肢の一つになりうるかも?

今は、お試し移住もできるので、
勇気を出して、一歩外に出てみるのも、おすすめです。

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