14、空虚を掴む

 ボタンひとつで世界が変わる。一人暮らしの殺風景な部屋が雄大な荒野に変わる。右手には剣を、左手には盾を持ち僕は勇者になってこの大地を駆け回る。陽の光に目を細める。木々を揺らす風が緑の匂いを連れて僕の頬を撫でる。久しく外に出ていなかったような気がする。空気というものはこんなに美味しかったのか。僕は大きく息を吸って、剣を構え直した。
 前方から二体、後ろに一体。緑色の肌をした人間のような見た目の化け物が僕を取り囲む。

「はあっ!」

 息を吐く。全身を使って剣を回すように化け物質を切りつける。当たった重みが腕に、背中に、腰に、脚に流れてくる。しかし僕はその程度のことでは折れない。押し返すように力を込めて振り切ると悲鳴を上げて化け物たちはバタバタと倒れていく。
 勢いのまま、剣を地面に突き立てる。化け物たちの死体が光に包まれるように弾け、地面にコインとアイテムが散らばる。弾けた光は経験値となって僕の身体に吸収されていく。能力の上昇が可視化されているのはわかりやすくて良い。電子音が脳内に鳴り響く。戦闘レベルがまたひとつ上がったようだ。これで僕のトータル戦闘レベルは十三。先ほど戦った化け物たちのレベルが七だったので余裕で倒せる相手だったということだ。

「ん?」

 目の前には戦闘に必要な情報が絶えず表示されるようになっている。視界を狭めるのでうっとうしいと思って気にしないようにしていたのだが、右上で点滅する文字があることに気がついて久しぶりに目をやる。そこに浮かんでいた『ストーリーモード』という言葉が僕を現実に引きもどす。僕の物語だというのに、どうして他者が作ったストーリーをなぞらなければいけないのだ。

「無視だ、無視無視」

 拡大した文字を指先でなぞるようにして視界の隅へと追いやる。僕はこの世界で自分の思うままに旅をして、世界を守るのだ。
 しかし僕の世界には従者も魔王も姫も出てこない。広大な世界で当てもなくひとりきりで魔物を倒して経験値だけを積んでいく。この辺りには僕に敵う魔物がいなくなってきた。僕が魔物を倒さないからと困った様子の国民も見ない。僕はここで本当に勇者なのだろうか。
 世界は僕を必要としているのだろうか。
 先ほど除けた『ストーリーモード』が脳をよぎる。借り物の勇者にでもなれるなら、その世界に飛び込んでしまえば僕のことを必要としてくれる世界に入れるのなら。そんなことを思って、首を振る。誰も望んでくれないから、僕はこの世界で求められることをするのだ。自分で切り開くことに意義があるのだ。

「あっ!」

 簡単に倒せるはずだった化け物が僕にぶつかった。大きなオノのような武器がこちらに向かって振り下ろされる。ガードできない。僕は衝撃でその場に転び、腰を打ち付ける。

「いった」

 まだ僕は終われないのに。もう一度僕に向かってオノを振り上げる化け物に向かって手を伸ばす。右手は剣を、左手には盾を。僕の手はプラスチックでできたコントローラーを握るだけ。化け物に直接触れることはない。伸ばした手は空虚を撫でて、視界は真っ赤に染まる。ゲームですら僕の世界ではない。雄大な自然は一瞬にしてゴミだらけの僕の部屋へと切り替わる。緑の匂いなどどこにもない。出所のわからない腐卵臭がするばかりだ。

「ここも僕の世界じゃない」

 伸ばした手は何も掴むことがないまま、床へと落ちた。


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