公園と友だちのこと

はじめに

 この記憶を手がかりとした短編小説をBASE STATION並びに文芸フリマで頒布していたことがあるため、このエピソードに覚えのある方もいるかもしれない。焼き増しのように見えるかもしれないが、こちらは脚色、潤色なしの原液状態のものと解釈していただけるとありがたい。

記憶

 小学生三年生から四年生までの二年間、週に二回、学校近くの児童センターで開催されていた習字教室に通っていた。
 教室といっても毎度課題として出される熟語を先生のお手本に倣って書くだけ。先生のお眼鏡にかなえばその日の学びは終了。あとは親の迎えが来るまでホールで遊んでいれば良い。小学生の私にとってその遊びの時間をどれだけ拡大することができるかというのが重要事項で、如何にして早く先生のお気に召す文字を書けるのかを試行錯誤していたのだが、ある日の放課後、友人が「ここに来るまでの間に公園あるの知ってる?」と囁いてきた。それは習字教室の後の遊び時間を延長するのではなく、習字教室にたどり着く前の遊び時間を延長しようというお誘いだった。
 彼女は幼稚園生からの一番の仲良しだった。ごっこ遊びをすると必ず死んでしまう役を演じる彼女のことが好きだった。彼女の家では犬を飼っていたような、いや、いなかったかもしれないが、彼女=ゴールデンレトリバーという記憶がなぜかある。私は幼い頃にゴールデンレトリバーに吠えられ「食べられる…!」と恐怖したことがきっかけで犬が苦手なので、彼女が犬好きなところだけ波長が合わなかったのを覚えている。よりによって苦手になった犬と印象が同じでなくてもよかったのに。毎日のように遊んでいたというのに、なぜ彼女だけがいつそんな場所を知ったのかはわからない。しかしながらわくわくした顔をしてそんなことを言うので、私はふたつ返事で彼女の後をついて行くことを決めた。

 校舎から児童センターまでは小学生の足で15分から20分程度の距離だったように思う。途中神社があってその脇を入って少し坂を登ると児童センターにたどり着く。その道中にあるたばこ屋さんの脇道を入っていく。友達の後を追いかけながら私は不安な気持ちになった。知らない道を歩くだけで緊張するのだが、そこは明らかに住宅街だったので、そこに住んでいない私がその道を歩くことは軽い犯罪に手を染めているような、そんな罪悪感があった。
 ぐねぐねと曲がった道をそのままなぞるように進んでいくと突き当たりにコンクリートの壁があった。丁度ランドセルと同じ幅の階段がついていて友人はそこを駆け上がっていく。どうやら目的地はその上にあるようだった。私は置いて行かれるのが怖くて彼女の後を追いかける。

「ほら、すごいでしょ」

 一番上まで登り切ると確かにそこには小さな公園があった。あるのは滑り台とブランコ、申し訳程度の砂場とベンチがひとつ。公園として成り立つ必要最低限の遊具だがふたりで遊ぶには充分だった。
 公園は真っ白な金網で区切られていて、そこから下を覗くと普段歩いてる道が見える。丁度クラスメイトの男の子が数人歩いるのが見えた。私は声をかけて驚かせてやりたくなった。大きな声でひとりの名前を呼ぶ。大声には自信があったのに、誰も私の声なんて聞こえていないみたいに進んでいく。それが悔しくてもう一度声を張り上げようとした私の肩を友人が叩いて「ナイショにしようよ」と言った。

「秘密基地みたいでいいでしょ」

 秘密基地という響きがなんとも魅力的で私は金網から手を離した。ひと足先にブランコを漕ぐ彼女が手招くので、ためらいながら隣に座った。ゆらゆら揺れる彼女が私に「漕がないの?」と聞く。
 私はブランコが苦手だった。一定の時間漕いでいると心臓が締め付けられるみたいに痛く苦しくなって息ができなくなるのだ。だから座っているだけでいようと思った。でも彼女と一緒に楽しめないことで「ここに案内しなければよかった」と思われるのが怖くて、やけくそになって漕いだ。

「気持ちいいよね」

 彼女の声がして顔をあげると、自分の漕ぐブランコが高く上がっていたことに気がついた。心臓の痛みがなかった。ブランコが楽しいと初めて思った。膝を曲げては伸ばす。高く昇っていく身体に感じる風の温度が、彼女の言葉通り気持ちよかった。

 別の日。ふたりだけの秘密だと思っていたその公園に隣のクラスの女の子が一緒になって着いてきた。私は不服に思って友人に問いかける。「仲間は多い方がいいでしょ」という彼女の言葉が私には残酷に聞こえたので良く覚えている。

 公園までの道は歪に入り組んでいたが、公園を抜けて神社の脇道へと抜ける道は単純であっという間だった。それなのに私はいつも神社側の道から公園にたどり着くことができなかった。方向音痴であることを自覚したのはその頃だったと思う。公園にたどり着くには友人の後を必死になってついて行くしかない。私だけに教えてくれたと思っていたその道が私と彼女だけの秘密じゃなくなったことが寂しかった。

 小学四年生になった。夏が来て、公園を教えてくれた親友が家の都合で大阪に引っ越すことになった。最後のお別れは言えなかった。「さよなら」を言ってしまうと二度と会えないような気がしたからだ。ちゃんと言っておけばよかった。もう今どこで何をしているか、何ひとつわからない。
 秋になって、彼女が連れてきた隣のクラスの女の子も引っ越すのだと聞いた。彼女の引越し先は確か千葉だったと思う。彼女の元へは「さよなら」を言いに行った。後悔を重ねたくなかった。

 公園には親友が引っ越した夏の日から行くことはなくなっていた。正確に言うと行くことができなかったのだ。彼女の後を追うみたいにたばこ屋さんの脇道を曲がって、住宅街を進んでいく。見えないはずの彼女の影を探しながら進んだ。まっすぐ進めばたどり着けるはずだった。どこか曲がり角があることもなかったはずなのに、私は二度とその公園にたどり着くことができなかった。どの道を選んでも行き止まりで、上にあがる階段は見当たらない。私はこの住宅街における部外者である。だんだんここにいるのが怖くなって逃げるように道を戻った。そんな必要はないのに必死になって走った。たばこ屋が見えて、いつもの通学路に飛び出した。
 せめてあの日クラスの男の子が歩いているのが見えた場所から、公園を見上げてみようと思った。草木がうっそうと生えているだけであの真っ白な金網すら見えない。車に気をつけて道の反対側に渡ってみても、見える景色は変わらなかった。秘密基地みたいでいいねとは言ったけれど、私にまで秘密にしなくていいのにと思った。

 友達も公園もない。私だけ世界にひとり取り残されてしまったみたいで強いむなしさが私を襲った。彼女のことを忘れたくなくて、ひとりで学校のブランコに乗った。やはりすぐに心臓が痛くなってしまって、高く漕ぐことができなくて泣いた。ひとりじゃ公園にも行けないし、ブランコにも乗れない。ただ苦しくて寂しかった。

 それを思い出したのが二年前のことだった。地元を舞台にした短編小説を書くという企画があり、場所に紐付いた思い出を探して脳内の引き出しをひっくり返していたところ隅っこにしまい込んでいたこの思い出を見つけたのだ。
 記憶を頼りにまたその公園があったはずの場所に行った。やっぱり公園はどこにもなかった。思い出の中でまだブランコが揺れている。私はまだ漕ぎ出すことが出来ないでいる。


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