2024.05.30

幻覚を見るのはとてもいい。
語弊が多いにある書き出しになってしまった。架空の芸人ライブを観劇したよという記事を執筆したことによる感想です。BUMP OF CHICKENは見えないものを見ようとして望遠鏡を覗き込んだけれど、私は見えないものを見ようとしてnoteを書きました。

昨年「文芸フリマ」に出展するにあたって作った創作キャラクターを元にして書いた記事だったのだけれど、感想記事+漫才+コント+フライヤー制作ということをやって何がなんだかわかんなくなって最高でした。妄想を具現化していく過程で出来ることを増やしていきたい。
もとより舞台脚本などを書きたくて大学にも通ったのに、なかなか作ることが出来ずにいたので「コント」を書くというのは私にも良い刺激になった。小さな舞台脚本の形を取りながら試行錯誤できたのは経験としてとてもありがたい。そしてこれが少しでも多くの人に届けば尚嬉しい。ここから先は発信力の問題になってくる。上手いことインターネットを使いたいのだけれど苦手すぎる。助けてくれ。

学生の頃にも感じていたのだが、活字よりも音声の方がハードルが低いのではないかという考えのもと、書いた脚本をボイスドラマのようにしてみるのはどうかと思案している。学生の頃には朗読劇を企画して自分の作品を読み聞かせるようにして発表したのを思い出す。
しかしながら自分ひとりで読むのはなかなか難しいので、読み上げソフトの導入を検討している。無料のものを少し触っているのだけれど、思った以上に楽しく、そして難しい。それでも発表の方法としてはとてもありかもしれない。上手にできたらYouTubeを活用していくのもいいかもしれないなと思いながらもまだ二の足を踏んでいる。かつて「調教」と言われていた作業を簡易的とはいえやってみているのだが凄い労力だと知った。ぼんやりと知ってはいたがぼんやりすぎたことも知る。言葉を打ち込むだけである程度のイントネーションや抑揚をつけてくれるのは凄いが、人間らしく、文脈を持って感じる音階はまた別のもので、それらの色をつける作業というものが本当に大変だ。声をあてるのとまた違う意味で命を吹き込んでいるという感覚になりとても興奮する。音がつくということは実在性を持たせることにも繋がり、本当にたまらない。そういう性癖があったらもう凄いことになっていたに違いない。なっているか、もう。

高校生の時分、演劇部に入って初めて脚本を書き、後輩達が私の書いた物語を演じることで世界が立体視されていくのを見たときの感動と近いものを感じた。すごい、本当にすごい。この感情をまだ整理できていないので「すごい」としか言えない。あのー、なんていうかその、すごいんですよこれ。全ての語彙が立ち消えていく。これが本当に物書きをしている人の表現なのか? 絶望を感じてください。

過去に書いていた脚本、冒頭の1分足らずの掛け合いを読み上げソフトに演じてもらったものになる。抑揚やイントネーションをこちらでつける都合上、とても技量が試される。たった1分だが不慣れも手伝って3時間ほどかかった。自分で読んだ方が早い。ただ、作品への実在性を追求するならプロでは無い私が演じても不安定に色づくだけなのが悔しい。もうしばらく悪戦苦闘中してみよう。コツがあったら教えてください。

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