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『枯れ葉』たんたんと生きる、犬を連れてほのぼのと

いたってシンプルなボーイミーツガール(というにはいささか年を重ねた二人ですが)の映画。全体の雰囲気はどこかゆるく、フワっとした軽さがあり、おそらくそれは市井の人々へ向けたほがらかな視線と、ちょっとしたユーモアを大事にする作り手の、つまりアキ・カウリスマキ監督のスタイルから来るものなのだろう。

フィンランドを舞台とした本作は、理不尽な理由で職を失ったアンサと、酒に溺れ転職を繰り返すホラッパの出会い、二人が愛を育んでいく過程をゆっくりと、やさしく、愛情を持って描いた作品だ。
惹かれ合い、すれ違い、お互いに歩み寄り、最後はちょっとだけドラマチック。いまや懐かしの古典的な素材を使い、安心感を覚えるほど平坦な展開からは、古き良き恋愛映画を観ているような感覚にひたれるんじゃないかと思う。

また、画面の特徴として、パステルカラーのやわらかい色合いをそこはかとなく配置しており、全体をクラシックなイメージとすることで、ノスタルジックさを演出。流れてくるニュースは明らかに現代であるにもかかわらず、その雰囲気や、使われている楽曲からなんとなく懐かしさを覚え、さらには個々の登場人物が持つキャラクターの落ち着いているようでいて、間が抜けている感じ。
うーん、独特。
俳優たちはみんな無表情かつ、セリフも棒読みだし、演出や音楽においても過剰に盛り上げるようなことはしていない。しかしこれらおおげさな演出を避けることで生まれるテンポは妙に心地よく、その控えめなユーモア、小洒落たやり取りにクスクスとくすぐられるような気分で鑑賞した。
それらはアキ・カウリスマキのセンスから来るものであると同時に、この作品の本質が市井の人々の颯爽と生きる姿を撮ることにあるからなのだろう。

アンサの家にあるラジオからはいつもウクライナ戦争のニュースが流れ、2022年以降に起こったことを反芻するかのように状況を伝えている。小児科病院が空爆を受け、民間人が標的に、プーチンは侵攻を止めることは無く、世界経済が疲弊していく。いつラジオを付けてもニュースは悲惨なものばかり。ロシア・ウクライナの戦争はいつまでもいつまでも続き、もはや日常の一部と化したそれに対して、人々はいちいち大げさに騒ぎ立てることもなくなった。それくらい戦争は続き、日常に溶け込んでしまった。
それは間違いなく海を越えたその国と国でいまなお起こっているにもかかわらず。

でもこの映画はそういうことをことさら悲壮感を持って強調しては描かない。むしろそれとは別の場所において人間らしく生きているアンサとホラッパが、少しずつ距離を縮めていく過程をゆったりと描くことを主としている。そしてそのテンポもまた結構独特で、カラオケのシーンをなんでこんなに?と感じるくらいじっくり見せるかと思いきや、二人が映画に行く流れはそれでいいんだと感じるほどあっさりとした会話で片づける。
二人が観に行く映画は監督の盟友ジム・ジャームッシュが撮った『デッド・ドント・ダイ』というタイトルのゾンビ映画。画面を真剣に見つめるアンサと、彼女の表情をチラ見するホラッパがなんだかかわいい。
俳優たちはほとんど表情を変えず、過剰な演出を避けてはいるものの、二人が出会うきっかけとなったカラオケ店で歌われる曲の歌詞は彼らの心情を豊かに(ちょっといじりつつ)表しており、画面の落ち着き、俳優たちによる演技の抑揚の無さとは対照的に、短い会話それぞれにおしゃれで笑える部分が用意されている。

なんだか好きなテンポの映画だなあと感じる。
アンサがスーパーをクビになるシーンで他の従業員たちが彼女のことをかばい、みんなで上司に啖呵を切る場面のかっこよさ。やってられるかこんな職場とばかりに出ていった先の次なる職場にいる上司がいくらうさん臭くとも文句を言わず、かといってへりくだるわけでもなく、しなやかに生きる彼女のその佇まい。
工場現場で危険な仕事をしながら酒を飲むことが止められずクビになってしまうホラッパ。アンサともう一度会うために映画館の前で待ち続ける彼。ようやくアンサと再会し、彼女からもらった住所の書かれた紙を大事そうに上着にしまいポケットをポンポンとたたく様子。
あらすじだけ書くと、戦争を背景とした労働者階級の人たちに焦点をあてた暗い話に思われそうだが、この映画が描こうとしていることは、そういう悲壮感と距離を置いて生きている人たちの姿であり、アンサとホラッパの生活と、働く姿を撮ることで、彼らの精悍さやダメさや人間くささが見えてくる。そこには常にあたたかい空気があり、そこはかとないシュールな”笑い”が潜んでいる。そんな、作り手の市井の人々へと向けた視線と、暗さから距離を取る姿勢が私は好きだった。

だからきっと、この映画が描こうとしているのは市井の人々の尊厳なのだろうと思う。

そこで労働をする人々、ブルーカラーの仕事に就く彼らの、あたり前に暮らし、あたり前に誰かと恋に落ち、あたり前に生きる姿。
悲惨なニュースばかり流れてくる中で、監督が提示した癒しとは、「人」であり、「愛」なのだというのは、あまりにストレートで、使い古された感はある。でも81分のこの映画はそういうことを安っぽくもならず、かといって重たくもならず、カラリとした様子で伝え、だからこそこちらの方にもそのありきたりでありふれた真心が響いてくる。

いまなおどこかで悲惨なことが起き、死者の数は増え続けている。海の向こうで、日本のどこかで。
アンサは言う「酷い戦争」だと。
なんてストレートな言葉だろう。あまりにも長く続き、心が摩耗してしまうほどのそれは、やはりどうしようもなく「酷い」ことなのだ。
しかしそれでもなお日々の生活を営む人たちがいる。
誰かにとってささやかでもいいから活力となればいいと、ひどい状況の中でも愛を信じてみようと、そんな使い古された願いを込めた祝福の映画。
何を強調するわけでもなく、ただたゆまぬ生活を描いたこの映画には、声高に反戦を訴える以上の声が、誰かに宿る"力”ある。

あとワンコが可愛いです。ワンコもまた人の心を癒す力を持っている。これは間違いない真理だ。

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