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#31 当たり前の素晴らしさ

 成人式以来福島に帰ってきた。
3月頭の福島は、今、関東に住んでいる僕にとってとても寒く今までこんな寒い所に住んでいたのだなと県外に住んで改めて思う。木々に花が咲き始め春の訪れを感じつつある関東に比べこちらの花はまだ咲きそうにない。

 電車の時間が1時間に一本と学生泣かせの福島に帰ってくるといつもドトールで電車を待つ。本を読んだり、Netflixを見て1人で笑っている僕は、店員から変な人だと思われているかもしれない。勉強する学生や談笑する二人組、1人でコーヒーを飲むご老人など。平日のドトールは沢山の人の憩いの場になっている。どこを切り取ってもいい風景。流れている音楽のジャンルはわからない。ただカフェっぽいジャズの様な音楽。カフェの窓から見える駅前の人の流れが懐かしさと安心感を僕に与えてくれる。「あぁ、福島に帰ってきたな」と。

 僕の家は新幹線の停まる郡山駅から隣の駅が最寄り。都会なら一駅ぐらい歩けるけれど、田舎の一駅は都会の2駅、あわよくば3駅分の距離がある。歩くという選択肢は存在しない。僕の家へ向かう電車は基本的に2両編成で通勤時以外基本的にいつでもガラガラ。乗っているのはご老人が圧倒的に多い。僕はこの電車に昼間乗るのが好きだ。
昼間、郡山駅のホームに停まるこの電車には日差しがいい具合に差し込む。都会の電車には出せない静かな感じと日差しの暖かさが凄くいいのだ。郡山駅が始発だからあえて電車が出発する15分前ぐらいから電車に乗って本を読むのが最高。高校生の頃、この電車を使っている時は思いもしなかった。いつも退屈していたこの電車だったが離れてみると凄く良く感じる。僕にとって都会はうるさい。日頃のガヤガヤした電車や人が多すぎて外で落ち着く事はまず出来ない。それに比べてゆっくり座ることの出来るこの電車。乗るのが一駅間しかないのが惜しい。

 最寄駅から家までは15分ぐらい歩く。いい匂いが漂う地元のお店の脇を歩いて坂を登る。そうすれば僕の家に着く。最近はどんどん新しい家が建ちはじめ僕の知らない地元になっていく。昔遊び場だった場所が無くなっていくのは少し悲しい。けれど過疎化が進んでいる福島県にとってはいい事なのかもしれないな。話が少し逸れたが高校から寮に入って大学でも一人暮らしだから家にいる期間が地元の同級生達より短い。だからなのか帰ってくると毎回色々な事を思い出す。小学生だった時の事。中学生だった時の事。高校ではどんな気持ちで家に帰ってきてたとか。家も電車同様、離れてみて様々な良さがわかる。帰ってきて人がいる暖かさもあるし、食べ慣れた母親のご飯も凄く美味しい。当たり前だった事から離れるとその良さが分かるんだなと毎回家に帰ると思う。

 ここまで書いた事は全てその場から一度離れてみて分かった事。つまり色々な事を体験すればするほどそれまでいた場所やそれまでの体験の素晴らしさが分かるという事。  この経験が出来ている事に感謝しながらいよいよ残りも少なくなってきた人生の夏休みを楽しみつつ将来のために更なる経験を積みたい。

 最後に話が少し逸れてしまうが当たり前が当たり前じゃなくなった時、人は良さを見つけるのかもしれない。今起きている戦争も平和の素晴らしさを改めて痛感させられる出来事の一つとなっている様に。一刻も早く前の平和な世界に戻る事を願う。🕊

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