【小説】神社の娘(第16話 橘平、名前を尋ねる)
風のように去った二人を見送り、橘平は家に戻った。居間では桜が手寧に紅茶を飲んでいた。
その姿は、一般家庭の居間よりも静謐な茶室が似合う。そこで桃色の着物を着て、抹茶をたしなんでいる桜。そんな姿が浮かぶ。
「紅茶、おいしいよ」
彼女に声を掛けられ、その想像は消えた。
「ありがとう。桜さんは急ぎの用事ない?」
「うん。お茶をいただいたら帰りますね」
こうして二人きりになったのは、あの雪の日以来だ。
橘平は桜の隣に座り、自分も紅茶を飲んだ。
「ねえ、桜さん」
橘平の、ティーカップをソーサーに置く音が居間に響いた。
「メッセージアプリのアカウント教えてほしい」
「うん、交換しよ」
早速交換すると、友達に「桜」が登録された。橘平が考えていた彼女の名前の字が判明した。
「名前この漢字なんだ。桜の木と一緒」
「冬生まれなのに桜」
「へー、春が待ち遠しいからってことかな」
「お母さんが見た夢らしいよ。私が生まれる前日にね、雪の中で満開の桜が咲き誇ってる夢を見たんだって」
桜は厚焼きせんべいを袋の上から4つに割る。
「まるで、森の中の桜みたい」
「確かに」
そして袋を開け、せんべいを齧った。
「有術使えないけど、異能を理解してる家柄っていうのかな、そういうところから選ばれてお嫁に来てるから」
もぐもぐ、と少しずつせんべいを食べる姿。ハムスターのようだと橘平は思った。
「予知夢みたいなものだったのかもね。今思えば」
桜の友達一覧にも「橘平」が追加された。
「ふーん、きっぺい、ってこういう漢字なんだ。たちばな」
村のなかで桜の電話番号などを知っている人は、ほぼ親戚。
メッセージアプリの友達一覧にはもちろんクラスメイトたちの名前もあるし、クラスのグループにも入っている。しかしすぐ下校してしまう桜は、彼らとやりとりをすることは無かった。クラスメイトたちも、形だけ桜を登録していた。
桜は橘平となら、気軽にやりとりできそうな気がした。そういう、「初めての友達」にもなれそうな予感がする。
「ねえ橘平さん、話したい事があるときに送っていい?」
「うん、ってかさ、いつでも送ってよ。話したい事なくてもさ」
「なくても送っていいの?!」
「そういもんじゃないの?」
「…用事ないと送っちゃいけないのかと」
桜のスマホが振動し、雪の写真が送られてきた。あの雪の日に撮られた写真である。
「こんな感じで。いつでも」
橘平のスマホにも何か送られてきた。野良猫の写真だった。
「こんな感じで?」
恥ずかしそうに、でも嬉しそうに、大人になりかけている少女は年下の少年に尋ねた。
「うん」
友達とのどうでもいいやりとりすら、桜はしたことがない。
もしかしたら、「なゐ」を消滅させることは、橘平の考えている以上に桜にとって大事なことなのかもしれない。
桜が普通になるために。
「あの二人とは、こーいうやりとりしないの?」
「ひま姉さんは、お茶しようとか服買いに行こう、とか、あのテレビ見たとか。よくやりとりするよ」
「葵さんは?しなそうだけど」
「そのとおり。必要な連絡のみ。でもね」
面白い話でもするように、桜はうふふと語る。
「文章が長い。回りくどくてちょっとめんどくさいよ、葵兄さんのメッセージ読むの」
「はい、いいえ、で答えそうなのに」
「口数が少ない人ほど、心の中はお喋りなんだよ」
紅茶をきれいに飲み干した桜は「じゃあ、そろそろお暇します」と立ち上がった。
二人が外へ出ると、大豆が犬小屋から出てきた。
橘平がリードを外すと、大豆は桜に駆け寄り、顔やからだを押し付け始めた。
「ばいばい、大豆ちゃん」
大豆を一通り撫でまわした桜は「一緒に写真、撮らない?」と橘平に声をかけた。
「え?」
「自撮りで」
「うん、いいよ」
撮ったその場で、桜は橘平にその写真を送った。気軽にメッセージアプリを使える相手ができて、嬉しいようだ。
「おお、桜さん小顔過ぎる」
「体が小さいだけだよ」
飼い犬の写真すらない少年の画像フォルダに、出会ったばかりの女の子との写真が追加された。
桜はついでに、大豆の写真も撮って帰っていった。
桜が帰った後、橘平は大豆の散歩をした。
今度、こいつの写真撮ろうかなあ、などと思ってみたのであった。
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