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病気を診ずして病人を診よ

医療現場では、しばしば人を診ずして病気ばかりに焦点が当てられることが多いように思う。リハビリテーションにおいても同様なことが起こりやすい。目の前の患者さんは、病人である前に様々な役割を持った一人の人間です。そのことを決して忘れないようにしたいものです。

病気を診るか、人を診るか

 『病気を診ずして病人を診よ』。この言葉は、東京慈恵医科大学の建学者 高木兼寛(1849〜1920)の教えです。胃や心臓などの「臓器」のみを診るのではなく、その人自身を診て、その人が抱える苦悩や困難さに寄り添うことの大切さを説いています。

 もちろん病院に来て、病気を全く診てもらえないのでは困ります。悪いところを発見し、良くなるように適切な検査・治療がして欲しいと思います。一方で、患者は病人である前に一人の人間です。誰かの父親であったり母親であったり、息子であったり娘であったりします。関わる医療者には、まずはそのことを忘れないで欲しいですし、私自身も忘れずにいたいと思います。

ある患者さんの言葉から

 以前、60代の一人のある患者さんを担当しました。この方は、ご自身の家族のことやされていたお仕事など、病気になる前のことはしっかり憶えておられましたが、数分前、いや数秒前に話した内容やしたこと、行った場所などを憶えておくことが難しい状態となっておられました。障害名は、短期記憶障害でした。短期記憶障害の為、ご自身がなぜ病院に入院しているのかも時々フッとわからなくなることもあり、お話ししながら涙を流されることが度々ありました。

 記憶障害に対する評価を行う為のいくつかの検査も施行しましたが、ある時この方がおっしゃいました。「自分はなんかおかしいんか?悲しかったら泣くし、楽しかったら笑うし感情もある。なんか変わったんか?」と。

 この方と日頃お話しをしていて私が感じていたことは、非常に素晴らしい方だということでした。こんな状況にありながら、家族や職場の方への思いやりを持ち続けておられたからです。病前のこの方のことは知りませんが、おそらく以前から周りの人たちに信頼され歩まれてきた方だろうと想像できたのです。私はこのことをお伝えしました。と同時に、「記憶障害」というこの方の障害部分を診なければならない状況から逃げ出したくもなりました。

医療現場と介護現場の違い

 病院勤務の私が病院を抜け出し、6年間ほど介護現場で働いていたことがありました。この頃は、自分自身の気持ちが非常に軽くなった感覚を今でもはっきりと覚えています。

 医療と介護の現場では、発想に根本的な違いがあることを体験しました。例えば、当時おかずを一口大に切ったものを食べていた方がおられました。しかし、頻繁にムセがありました。病院なら即食形態を落とされ、嚥下食というふうにされてしまうような状態です。介護現場では、この方の食べたいものの意思を尊重し、すぐに形態を変えるのではなく食べ方の工夫や、仮にムセてもすぐ対応できるようにすぐ近くで見守るなど、スタッフ自身が十分に目配りできるよう話し合いました。

 また、話し言葉が全く出てこない失語症の方がおられました。しかし、トイレに行きたいときは何となくモゾモゾされたり、身体で訴えることができました。病院なら少しでも発語が出るようなアプローチをしていくことが多いですが、介護現場ではその人に発語を求めるのではなく、周りの者がその人の訴えをキャッチできるよう、こんな時は良くこんな合図されますよねとスタッフ間で気づきを伝え合うようにしていました。周りが失語症の方に合わせた対応をとることで、その方にとって居心地の良い場所になることが大切なことだと学びました。結果、言葉が自然に発されることもあるのです。

言語聴覚士の皆様へ

 私もシャルコー・マリー・トゥス病という神経難病を持っていますが、やはり「シャルコー・マリー・トゥス病の笠井さん」と言われるより、「言語聴覚士の笠井さん」と言われる方が断然嬉しいです。だって、病気や障害は自分のほんの一部分でしかないと思っているし、そんなことよりもっと私の価値観や人生観を知ってもらいたい。

 患者さんに対しても同じですよね。失語症の○○さん、嚥下障害の○○さんではなく、笑顔の素敵な○○さん、コーヒーが大好きな○○さんと、周りが伝え合いたいですね。

 急性期(病気の発症から1カ月程度といわれています)病院では、患者さんの病態を診ることにどうしても重きが置かれます。しかし、少しでもこのような視点を持った関わりができると多くの患者さんが救われるのではないかと思います。病気や障害を負う前の患者さんの姿を想像してみてください。趣味や好き嫌い、育った町やご家族のこと、たくさん聞いてみてください。嚥下内視鏡検査(飲み込みの機能検査)や標準失語症検査(失語症の状態を見る検査)の結果ばかりに捕らわれないように!

 

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