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言葉が思考性に与える影響について

お疲れ様です! マー君です。

また時間が経っちゃいました。それでも、細々とは続けていきたいと思っています。あと、タイトル変えちゃいました。

マーケティングに的にはタイトルや小見出しは絶対に重要

一応、ネット業界にいる人間として、過去三回のタイトルの付け方は、「マーケティング的」にはよくなかったなと。

マー君、こじらせちゃってるし、書いた文章には、別に深い共感を得たいわけでやってるのでもないので、根本的にはどう思われようといいなって思ってます。でも、全く見知らぬ人の目に止まって、「スキ」って言われると、やっぱり、悪い気分はしないんですよね。

むしろ、「スキ」って言われたくなっちゃうのがSNS。

そんなマー君がタイトル変えたきっかけは、
先日、「どうやって○○のブランディングをするか?」みたいな講義を受ける機会があった中で、ウェブで載せてる文章について先生が語ってたことに起因します。

〜先生の言葉〜

このページ、色々、つらつら長い文章書かれてますけど、

タイトルと太字になってる小見出しさえ流し読みで読んでもらえればいいんです。

それだけまず雰囲気伝わりますし、そこが重要なんです。


文筆家マー君としては、「は?」って思っちゃうところですけど、
サラリーマンのマー君としては、
「なるほど!!そうだよな! てにをは、接続詞、文章、いろいろ考えても、人はそもそも興味ないんだから、まずはそこからだよな!」って
素直に思って感心しちゃったんです。

(当然、文筆家としては、「お前なに舐めたこといってんの?」とタメ口で言ってやりますから、読者の皆さん、ご安心ください。二面性、ちゃんと人間、マー君です)

やっぱり、時代はマーケティング、セルフプロデュース重要っす!

「英語を話す時の自分」 と 「日本語を話す時の自分」

今回は、タイトルについてダイレクト書きたいと思っています。

エリートサラリーマンくずれ、もとい、中産階級の権化のマー君は、こう見て、ちょっとだけ英語話せます。以前にもちらっと書きましたが、高校生の時に1年間、アメリカは西海岸に留学してましたからね。もうかれこれ15年以上も前の話です。そんな昔の杵柄で、今も仕事で英語が必要になると、中学生の単語力で外国人に立ち向かっていくわけです。

マー君のこれら文章をご覧の通り、とにかく、マー君の言葉は
「まわりくどい」で有名。枕詞や免責が多すぎるとかなり揶揄されて来ました。

メンバーの子が、何か聞かれた時とか意見をもらうときに、
「まずは、結論から言って!」とかって、自己啓発本をもろに体現するようなエリートサラリーマンぶってるんですけど、
心の中では「マー君も結論からいうの苦手て言い訳っぽいってよく言われててさ。でも、言い訳じゃないんだよな〜」なんて同情しながら、毅然と、、
「結論から言えないってことは、整理されてないってことだね。ちゃんと整理してからもっかいもってきて」みたいな教科書通りの台本を日々読み上げております。

んで、話を戻すと、英語を使うときのマー君、やっぱり、結構強気になるんですよ。なぜだかわからないけど、やっぱり、語彙力がない文、こねくりまわすことができず、ストレートになるんですよね。結果的に。

だから、自分でもびっくりするくらい、交渉するときでもズバっといってやることができるんですよ。同じ人間なのに。

んで、これはよく言われてることなんですけど、僕の知り合いは、英語をしばらく話していると、声が低くなるやつがいるんですね。
そう、声質自体も変わるんですよね。その人は、ナレーターみたいな仕事をしているから、よりそれがセンシティブに現れるみたいです。

言葉って思った以上に思考を規定しにくるし、身体に影響を及ぼすんですよ。そう、言霊ってやつに近いかもしれません。


本当に「お疲れてる」の? 「お世話になってる」の?

マー君、会社生活1年目の時(マー君は、社会人って言葉大っ嫌いです。何が社会人だよ。みんな社会を構成する社会人じゃないか!「学生」「社会人」なんだよこの区別!って思ってるから、社会人1年目とは書かないんです)、メールの中に、

社内の人には「お疲れ様です。」
社外の人には「お世話になります。」

と、最初に挨拶文で書くことに強烈な違和感を覚えていました。

当然、10年以上のサラリーマン生活をこなしていると、むしろ使いこなしまくってるわけですけど、そこはご愛嬌。

「お疲れてねーだろ!」
「まだ、おめーにあったこともねーんだから、お世話になってねーよ」

と。

だから、僕は、最初の一年くらいは、なるべくつかわないようにしてました。そうなると苦しくて、
「こんにちは」「先日はありがとうございました」
とかって挨拶文が入るんですよね。

なんだこれ。

んで、何が言いたいかというとですね、
お世話になってもいない人に「お世話になっておりますと言っておけばいい」。「おつかれさまでしたと言っておけばいい」という、人に対する誠意みたいのって、この言葉をつけ続けることによって、どんどん失われてくんですよね。言霊として。

人によっては、「そんなの挨拶の一種だ、取るに足らないことだ」「お前はそんなくだらんことを気にしているのか」と。
でも、ほんとに、それでいいんですかね?
これは、冗談抜きで思考の停止になりえませんかね?

わかります?

みなさん、このどうでもいい文章を読んでくださって、本当にお疲れ様です。



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