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信州BW後援会東京支部支部長 奮戦記【決意】NO1

2019年 10月

大田区の体育館へ向かう道中

信号待ちしていた私の隣に

スラッとした好青年が立っていた

ん?

社長?

ん~~~

一瞬目が合ったが自信がなかった

信号が変わり歩き出した

と背中にリュック

見覚えのあるロゴ

社長だー!!!

後ろから声を掛けようと思ったら…………

メッチャ早い!Σ( ̄□ ̄;)

歩いていては追い付けず

小走り(笑)

「社長!!!」

「あ!まきねぇ!!!」

答える間もなく

「18:00~会議なんです!!」

5分前…………

速度を増してまたメッチャ早足で私の視界から消えた

オーラ半端ないな

あまり人のオーラには興味ないのだが

この時ばかりは自然とそう感じた

何年振りかに観るブレイブウォリアーズのバスケ

巧い

以前観た時とは比べもにならないくらい(失礼💦)

二階自由席から試合を観ていた私の元に

社長と会長が見えた

マンションにあった便利グッズを社長に手渡した

災害時にあっても無駄にはならないであろう物を
紙袋に納まる程度だったが持参してきたのだ

「ありがとうございます!!!」

千曲市の現状などを聞いた

「お陰さまで体育館は使えるようになりました」

バスケが出来る場所

バスケが出来る体

少し安心はしたものの

「元に戻るまでは長いですよね」

数年の間に日本各地で起こっている災害

喉元すぎれば…………

そこで生活していなければ忘れられてしまいがち

「明日にでも地元の仲間に連絡してボランティアなり物資を運ぶなり協力出来ることはしますから!」

やはり

「すべては先生への恩返しですから」

恩返しと言えば社長も気兼ねがなくなるだろう

一度ホームゲームに行く旨伝え

その日の勝利を目にして帰路に就いた

翌日地元の仲間に一斉にLINE

数年前の熊本の地震の時

縁あって仲良くしていた男の子が熊本出身だった

すぐさまバスケ仲間にLINEをして

①命を繋ぐもの
②生活に必要なもの
③日常生活で必要なもの

三段階に分けて物資を募り熊本に送った

仲間たちは翌日には必要と思うものを持って来てくれた

あの時の事があったからだが
今回は私が地元にいない

と、物資の受け取りから
軽トラで千曲市まで運ぶことを快く承諾してくれた仲間がいた

この仲間は、バスケ仲間では唯一社長や会長とも面識がありやはり心配していたのだ

後日無事に物資を届けてくれた

こうして動くのもすべては恩師への恩返し

恩送り

直接返すことではない

間接的でも恩師が大切にしているものを
大切にしたかった

2019年 12月

初めてのホームゲーム
@ホワイトリング

ホワイトリング自体初めて来た気がする

30年近く前の冬季五輪長野

縦長の長野県

私の故郷は南信

「えーと、どこの国でやってるの?」

温度差半端なかった

これは、信州ブレイブウォリアーズにも当てはまった

応援したい気持ちがあってもついつい距離に負けてしまう

負けると言うことは

本気じゃなかった

今思えば、信州ブレイブウォリアーズに対してはあまり興味がなかったのだ

bj時代に伊那市で試合があった

プロバスケを観たのは初めてだったかも

「ん~。プロってこんなもんなんだ」

高校時代のキャプテンと試合を観に言っていたのだけれど、期待を裏切られた感が否定出来なかった

そんな事もあってあまり興味がなかったのだ

今季初の平日開催

ざっと見て1000人くらいかな

初めてブースターさん達の熱いブースト姿を見た

信州でバスケがこんなにも受け入れられているんだ

私は何もしていないのになぜか嬉しくなった

っか、ブーストが苦手な私は少し気後れ💦💦

周りのブースターさんたちごめんなさい(T_T)

昨シーズンに続き勝率が良いブレイブウォリアーズ

この日も勝利で終わった

試合が終わり本部へと移動

会長がいらした

大田区でもご挨拶はさせて頂いていたが

数年前のあの記憶が( ̄▽ ̄;)

深々と頭をさげご挨拶

後援会専務もご紹介頂いた

この後打ち合わせをする予定だったが、専務は外せない予定があるみたい

「社長。さし飲み行くよー」

いやいや
会ったの今日で何回目よ(笑)

すでに旧知の仲のような接し方
ごめんなさい(笑)

社長の車で長野駅周辺まで移動した

移動中色々とお話を伺った

会長がチームを作ったこと

苦悩の連続だったこと

あまりにも大変で心が折れそうになった会長のこと

アメリカにいた時にお父様が亡くなり帰国したこと

帰国後bj事務所にいらしたこと

白羽の矢が突き刺さったこと(笑)

長野に来たら〆のラーメンならぬ
〆のお蕎麦が食べられると思って楽しみにしてきたこと

群馬県出身で
野球少年だった社長が

何故

信州BWを運営することになったのか

少しづつパズルが完成していった

そして

長野県のバスケ協会がまあまあの年齢で成り立っていることを危惧されていた

「いつ辞めるんだろ。これはさ、悪い意味でなくて少しでも元気な内にご勇退頂いて次世代育成に回って欲しいんだよね」

まだ9年

長野にきて
信州BWを支えて

また9年のこの彼の考えに
リスペクトした

自慢するわけではないけれど
他人に興味のない私がリスペクト

自分でも正直驚いた

「でも、前例がないとダメなんだよね」

フムフム

「先陣きって先生にご勇退する花道を用意したいんだよね」

ホー そうきたか!!!

確かにそう

教師は定年退職して今は部活だけに行っている恩師

でも、国体関連をはじめとする協会の会議に毎週毎週通っている御歳71歳の恩師

片道高速1時間半

色んな意味で心配になる

誰かが動かなきゃ変わらない

社長はその一人目に恩師を………と言うのだ

具合い悪くなってから?

死んでしまったから?

そうじゃなくて元気な内に
次世代が安心してバトンタッチして貰うためにも

元気にご勇退

75歳を目標に

4年後を目標に花道を作る

まさか社長と恩師のご勇退について

語ることになるとは…………

不思議な

粋な

ご縁だな

恩師から

紡がれた

尊い

ご縁

感謝

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