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星が教えてくれる亡き人からのメッセージ〜友の三回忌に寄せて3

さて前回、前々回と2回にわたって
わたしの想いをお聞きいただきありがとうございました。
今日は今回の友人の三回忌によせての
最後の配信・記事になります。

前回までは夢を中心に聞いていただきましたが
今日は星読みに関するものです。
よかったらおつきあいください。

前回までの記事

ホロスコープは生き続ける

当時のblogはこんな風にはじめています。

……
ホロスコープは、出生時の星位置を表したものです。
この出生図の星が進行した様子や、
通過している星から、サインを読み取るのが星読みです。

ホロスコープはその人が亡くなっても生き続けます。
例えば亡くなった人がその後、
「生きていたとしたら幸運期」という時期を迎えた時、
その人が生前成した仕事や作品などが
脚光を浴びることがあります。

或は、その時期に、残された家族の問題が
解決るすようなケースには非常によく出会います。
亡き人が今もこの世や残された人たちを護り、
繋がっていてくれているのだなと
実感させてくれる現象です。

他には、この世を去った時の星位置により、
その人がどんな思いで旅立ったか、
また、近しい人に対して
どんな想いを抱いて旅立ったかを
感じられる場合もあります。

……

と書いていて、
この後、実例のように記してはいます。

内容を少しまとめますと
ある女性のこの世から旅立った時の星位置と
出生時のそれを照らし合わせ、
肉体的には病巣よりは治療の副作用により
辛い所があったことや
でも、これまでの善行に助けられているような安らぎと、
大いなる護りが木星によって暗示されていたことなどを書いています。
そしてこの護りと導きは、すでにあちらの世界にいる家族や
親族たちによるものだったのかもしれないということ、
そして

また、彼女は眠るように、夢をみているような中で
現実の世界から離れたサインが読み取れ、
遺族のお話とも合致していました。

というようなこと、

また、残された家族のホロスコープと合わせてみる事で、
彼女の家族への想いが浮かび上がってきます。
それについては

個人的なことが多く含まれるので一部だけのご紹介ですが、A子さんが旅立った時の月は彼の火星に重なり「貴方のありたい生き方をして欲しい」という想いが観て取れました。

このように記していました。
そして家族とご本人との遠い時代からの約束
家族がA子さんをみとることもまた今世の仕事であり
そらが魂をさらに磨くものであるサインなどについても
添えていました。

これらの詳細については
少し深い話になりますので
またいつか別の機会にでもと思います。

そしてその後書きにはこう記しています。

前回と前々回のblogでは、
わたくしの夢についてを語りました。
夢によって、その出来事が誰のせいでもなく、
ただ「大きな営みの中の必然であったかもしれない」と
感じられる経験をすることは、
受け入れがたい現実を目の前にしたときに、
少しだけ助けになると思います。

しかし、夢が訪れてくれるかどうかもそうですし、
夢解きは、誰でもすぐにできる、解る
というわけにはいかないかもしれません。
けれど、同じ作用は、星を読むことでも
得られると思います。

そう簡単に、心が晴れるわけではないでしょうが、
何か大きな流れやエネルギーがあることや、
「人も、星の運行や満ち欠けと呼応して
自然の一部として生きている」という意識が持てた時、
ほんの少しだけ、何か重たいものが
抜けていくような気がします。

そしてそうなれた時、
大いなるものに心身をゆだねることができ、
それまでよりは もう少したくさん、
亡き人と繋がっている実感が
得られるように感じています。

これは今も全く同じ思いです。
そしてさらに

開業以来ずっと
「人の生死については観られません」
お断りしていますが、
いま生きている人への、
旅立った人からのメッセージを感じるお手伝いは、
これからも心を込めてさせていただきたいと、
改めて思うこの頃です。

と締めくくっています。

これも今も全く同じ思いです。

勿論、今、病の中にいる方にとっても
生き死に関してではなく、
何をしていれば今を最善に過ごせるのか
望まない状況ではあるでしょうが
その中で少しでも幸せを感じるためにしたいこと
などについては一緒に考えていきますけれど

遺された方への気持ちに寄り添うことは
生半可なことではないので
避けてきた所があるのですが
これくらいしないと、というか
これをさせてくれる
学ばせてくれることが
彼女からの贈り物のように思えて

というか、思いたいのかもしれませんけど。

彼女のお陰ですということがあると
忘れ形見ではないですが、
私にとって、いつもすぐ側にある
彼女が生きた証のようなそれを築きたい気持ち
なのかもしれません。

音声配信はこちらです

自分で自分を癒すために

その他に私がしたこととしては、
内側に溢れる形にしたい証や
彼女との時間の中に残されたイメージがあるので
それが沸いてきて困るくらいなら、
いっそ溢れさせてしまおうと
当時取り組んだことがあげられます。

それは、物語になりました。
勿論、ざっとしたものですが
そんなものをいくつか書き連ねた2021年でした。

親が亡くなるのとはまた違う
親の時はこうはならなかったのが
自分でも面白いものだなと思いました。

その物語は、とても雑に
とりあえず終わりまでできたというだけではありますが
自分のセラピーだと言えると思います。

ストーリーテリングのセラピー。
standfmでもリリアさんとおっしゃる
ノベルセラピストの方がいらっしゃいますが、
そんなことなのかなと思います。

自分でセラピストになって
自分でクライアントになっているのだろうと想いながら
なるほど、と、自分を観察しながら紡いだりしました。

これも彼女からの置き土産のスキルにするぞ!という姿勢、
あくまでもこういう時は、
貪欲にプラスに転換しようとする私であるなと
これもまた再確認をいたしましたが。

でも、まあ、そうでないと、
彼女のキャラクターと、私との関係性に
似合わないじゃないか、というような
意地だったのかもしれません。

でもまあそんなことをしながらでも何とか
2年たてば、ほんの少しこうして語ることができて
また次のステージへ向かえそうですから
よかったのだろうと思います。

ということで毎回長い配信になりましたが
友の三回忌によせて
これで人区切りです。

そして明日6月14日は満月なんです。
彼女の三回忌からこの月満ちる時にむけて
話したいことが話せてよかったと思っております。
皆様が聞いてくださったおかげです
おつきあいいただき本当にありがとうございました。

彼女から贈られた写真とタイトル

最後に彼女がずっと昔に送ってくれた写真を
載せておきたいと思います。

一枚目は↓タイトルは「どうせ晴れるんだろう」

どうせ晴れるんだろう

そして続けて送られていた2枚目はこちら↓

やっぱり晴れた

タイトルは「やっぱり晴れた」でした。

そうだよね、晴れるよね!!

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