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原点の絵本②カロリーヌのせかいのたび

前回につづき原点の絵本
今日はカロリーヌシリーズの
「せかいのたび」のお話です。

ヨーロッパ、カナダ、インド、北極と、
きっとこのおかげで
地名もそして文化も
覚えたのではないかと思う絵本です。

よかったらまたおつきあいください

カロリーヌせかいのたびのはじまり

「カロリーヌのせかいのたび」には
1話目「カロリーヌのヨーロッパりょこう」
2話目「カナダのカロリーヌ」
3話目「カロリーヌのインドのたび」
4話目「ほっきょくへいったカロリーヌ」
の4本が入っています。

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作家はフランスの方 ピエールプロブストさん

フランスの方ですから
第一話のヨーロッパ旅行も
カロリーヌたちはフランスから出発します。

そして、初めの目次のページに簡単ではありますが
こっからこっちへ…みたいな地図?
行程図みたいなのものが書いてあって
ここでもうわくわくするんですよ。

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音声配信はこちらから聞いてください。

カロリーヌのヨーロッパりょこう

さて、この旅は
ルクセンブルクの森からはじまって
オランダで水路にそって自転車に乗ったり
風車のお手伝いをしたり
そしてオランダのチーズというもの、
まん丸の大きなチーズをここで知りました。

そしてそれから
オランダからドイツへと、車で移動します。
その時には「ぜいかんじむしょ」とひらがなで書いてある
踏切みたいな所を通ります。
これはなにかなあ、と思った記憶がありました。

そのまま車ごと船にのって
ライン川を流れて町のオープンカフェに着く一行。

そこでボビーが食べていたものが
ドイツのプレッツエル
この形がめずらしくて、食べたいなと思った幼少期です。

そして、前回、
ネイティブアメリカンの子どもたちが暮らす街がプエブロで
実在の場所であるように、きっとこの背景も
どこかちゃんとした場所があると思うのですが
ドイツには明るくないのでわからないままです。 

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でも今回びっくりしたのはこの次のページ
ドイツからスイスへいったみんなでしたが、
それこそそこには
ハイジが暮らしたようなお山で
長いホルンを吹いている絵が描かれています。

この絵は覚えていました。
けれどその手前に座っている
コッカ―スパニエルみたいな犬のユピーが
腕時計をまじまじと眺めているのです。
その奥に座るピポも腕時計をしていました。

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スイスと言えば腕時計なんて
幼児は知りませんから、
実に今回、何十年ぶりかの発見でした。

そしてそのままイタリアへいってベニスのゴンドラ、
川が道ってどういうことだろうと不思議でしたし、
コロッセオにも出かけていく一行、
ピサの斜塔をわたしはこれで覚えました。

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そしてその国ごとにちゃんとその国の衣装
その土地らしい服装や
はっきりした民族衣装などを
カロリーヌやおともだちの誰かが着ているのです。

このおかげで、各地の衣装への魅力に
ひかれはじめた4歳児でした。

今もちょっと違いますが、
インドネシアのバティックやイカット
山岳のモン族南米ボリビアの柄とか
インドのサリーのシルク、
アイヌ刺繍琉球紅型なども大好きで、
最近はさすがにもう買い増やしはしませんが
ほぼこんな衣装ばかり着ていた時代があります。

ですからクローゼットの中にも
未だにたくさん入っています。
多分これも、カロリーヌのせい?いえ
お陰だと思います。

2話目 カナダのカロリーヌ

そしてこちらにも勿論、その服装や衣装、
羽根飾りもでてきます。
次のお話は「カナダのカロリーヌ」です。

ひいおじいちゃんがカナダに渡っていったことを知り
足跡を尋ねてみようと
フランスからカナダを目指すカロリーヌたちです。

カナダに飛行機でついたカロリーヌたち。
タラップで降りてくるシーンは憧れでした。

けれど私も、幼稚園の時に初めて飛行機に乗ることができて、
羽田からでしたが、当時はまだカロリーヌたちと同じように
飛行機の間を歩き、タラップを登りました。
それにとても感動した記憶があります。

話がそれましたが、その後のカロリーヌたち…
おじいちゃんがどこに暮らしていたかの手がかりを求めて
図書館にやってきました。
図書館とは、そんなに何でもわかる所なのだと感じた記憶もあります。

そして道中で、またその土地の人に尋ねます。
目的地はどうやらケベックの北だとわかりますが
実はこのページも、忘れられない絵でした。

文章にはこの時も、まだ時代的に
インディアンとかいてありますが
今度はカナダのケベックのネイティブアメリカン
カロリーヌが地図を見せて場所を聞きます。
その間に他のおともだちは
ネイティブアメリカンの女の子に
髪を結ってもらったりしています。

そして、皮をつかっているようなティピがならんでいます。
勿論その名前はしらないから、テントだと思っていましたけど。

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そしてたどり着いた所には
メープルシロップの木々。

この場面も忘れられませんでした。
甘い蜜が木から直接取れるという不思議さと
蜂蜜じゃないんだというびっくりで
幼い私は釘付けでした。

氷の上に流して飴になる、というお話にも
「それは、どんな味だろう、なめてみたいなあ」
と思いました。

未だにメープルシロップは大好きですが、
もしかしたらこれも三つ子の魂、
とっても美味しいものに違いないと思ったからかな、
等と思ったりします。
蜂蜜も大好きで、切らしませんが、
メープルシロップのおいしさは格別です。

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3話目 インドへいくカロリーヌ

そして次のお話では
カロリーヌたちはインドにいきます。

ここでは意地悪なトラがでてきて
王子様をさらっていたりします。

このカロリーヌを読んでいる頃、
ちびくろサンボの絵本ももっていました。
(差別的だからとかで
サンポなららいいとかいろいろいわれてきたあれですが)
あれでも追いかけてくる虎です。

そしてこのお話の1つ前にはメープルシロップがでてくるので
なんだかここまでを読むと、ホットケーキ!と連想されて、
「食べたいとリクエストしたことが何度もある」
そんなことも思い出しました。

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そしてまあお話ではピンチになる
カロリーヌたちですが
ここはひょうのピトーが大活躍します。
さすがですね、ひょうはインドにすんでますから
地元なので、ゾウさんに手伝ってもらおうと声かけてきたりして
どんな動物がその国に生息しているかも知ったようです。

さらに、不思議な壁画のような宗教的遺跡があることも
ここで知りました。
そしてもう一つ、勿論ここでもインドの衣装ですね。
これは綺麗だなと憧れました。

4話目 ほっきょくへいったカロリーヌ

最後に北極へいくお話。

最初のページは動物園。
ここでは「しろくま」とかいてありますがホッキョクグマですね。

子どものほっきょくぐまのぷっか
「北極のママの元に帰りたい」と泣いていたのを見つけたカロリーヌ一行。
何とかしてあげたいと思います。

そもそも、動物たちと一緒に動物を見に行っている、
という構図ですから、
プッカを連れ出すのは簡単です。
サングラスなんかかけさせて、
おともだちの8匹に紛れ込ませて、無事、
動物園を脱出します。

今思えば、この頃から
ホッキョクグマの絶滅が危惧されていたのかもしれません。
或は、乱獲のようなことが問題になっていたのかもしれない、とも思いました。
今も実際に、氷の問題も含めてですが
ホッキョクグマは2100年までに
絶滅するかもしれないと言われています。

また少しそれてしまいましたが話を戻します。
カロリーヌたちは、
そのままプッカと北極へ向かいます。

途中までは船に乗せてもらいますが、
「また夏になって氷が解けたころ迎えにきてね」
という展開になりまして、
子どもとしては
「え?そんなに長くかかるの?氷が解けないと来れないの?」と
北極の状態を知ることになります。

そんなに長い時間をかけてカロリーヌたちは
プッカのお母さんを探すのですが
当然ながら、またピンチがやってきます。

それを助けてくれたのは!
ここでもエスキモーとかいてありますがイヌイットでした。

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何度も印象的だったとか、覚えていたと言っていますが
実はこの「せかいのたび」の中では
本当に本当に、一番印象的だったのは、この場面でした。

「カロリーヌとおともだち」ではプエブロのネイティブアメリカン
そして「カロリーヌのせかいのたび」では、
インドも好きではではありますが、
はやりカナダケベックネイティブアメリカン
そしてこの北極のイヌイット
ここへの興味、生き方やその歴史を知っていくことにつながり、
それこそほぼ、私の原点だといってもいいと思うのです。

お話では、この時はカヤックイヌぞりを使って移動したり
アザラシなどの海獣やくじらをたべたり、
それらをナイフを使って食べていたり、
骨でつくった剣玉のようなオモチャもあって…
このページにまた会いたいなと思っていたものです。
ちゃんと覚えていましたシーンでした。

それから、切り取った雪のブロックをドーム状に積み重ていく
半球の丸いおうち、雪の家のイグルーがあって、
カロリーヌのまつ毛が凍っている絵があって、
「そんなことがあるのか!」とびっくりした幼少期でした。

最後にはホッキョクグマのお母さんが迎えにきてくれて
カロリーヌたちも、お迎えの船にのって帰っていきます。

この時代と原点だと感じること

この出版の少し前から
兼高かおる世界の旅という番組が放送されていました。
なんと前身は1959年に始まったそうです。
さすがに見始めたのはもっと後ですが
我が家でも毎週日曜日についていました。

いろいろグローバル化されたり
海外旅行が憧れから、
少しは近いものになった時代なのかもしれません。

この番組の影響で私は
パンナム(Pan American Airways)の
ショルダーバッグが欲しい欲しい欲しいと
いっていた覚えがあります。

これもこの頃の影響でしょう。
今は鉄道も好きですが
30代までは飛行機好きでしたし、
子どもながらに747に乗った時には浮かれるこどもでした。
今は、新幹線でN700Sにあたると喜ぶのと同じだなと思います。
旅好きはこの辺から始まっていたのですね。

そしてその土地土地にいって
そこに暮らす人たちの日常に入っていくスタイル
私の旅のベースになっている気がします。
バックパッカーとまでは行きませんが、
あまりリゾート的な旅はしないかもしれません。

親向けのあとがきに感銘

そして最後に、今回初めて気づいたページについて。

これは子どもは読んでいなかったはずです。
それはあとがきです。
親むけに書かれているようでした。

文学博士の波多野勤子(はたのいそこ)さんと
言う方が書いていらっしゃるのですが
この中身に深くうなづきました。

まずは「お母さんが手をかしすぎてはいけない
とおっしゃっています。

そして
「親が子供に自分勝手なやり方をさせず、
親が最も良いと思うやり方をさせて
生活態度を育てていこうという
日本従来のやり方は、いわば、
失敗を恐れるしつけです」

子どもに、
無駄なことや回り道をさせないようにしよう、という方法は、
よいとはいえないよと、いうようなことが書いてあります。

更に、
失敗をさせないのは物資的に豊かではなかった時代や
家庭の人間関係が難しかった時代は別だけれど
もう核家族化して経済状況も変わっているのだから
自分たちも変わっていかなくてはいけない
と仰っています。

この本の出版時期は昭和43年や44年辺りなので
この時代はこのような変革期だったのでしょう。

そして
「子どもの言いなりになるのではなく、でも経験の機会をうばわず」
と続きます。

どっちみち「こうしてはだめだ」といっても
子どもは自分の物として理解していない、
それは親の言うことを呑みにしているだけだから
そんな状態では、子どもがひとりで新しい場面に出会った時に
きちんと判断して行動することができなくなる

だから体験が大切です、と
まあ今でもそのまま通じるお話をなさっています。

そして最後には

変化の激しい時代に活躍するために
子どもが自立する精神で
何でも怖がらずに経験する態度を子どもの中に育ってていきたい

とも書いてあり、最後には
逞しさと素直さ明るさをお育てください
と締めてあります。

調べましたら波多野勤子さんご本人は
1950年明治38年生まれの方でした。

ですからご自身がなにより
新しい生き方をしていこうとなさったのかもしれませんし、
あたらしい価値観を柔軟の取り入れられた方なのでしょう。

そして、はたと、今も、このようなタイプの本のあとがきに
こんなことは書いてあるのだろうか?とも思いました。
でもすぐに、今は、ここに
そんなことを書く必要はないのかもしれないとも思いました。

昔の、この昭和の子育ての頃は、
それこそ核家族が出来たての、
私たちの世代がまだ幼かったころなどは
こんな指南を探すのもたいへんだったかもしれないとも思いました。

子育てで困った時、不安になった時、
ネットで検索して答えを探すことなど
勿論できない時代でした。

この後書きに、あたらしい子育てでいいのだと
勇気づけられた親もいたかもしれません。
そんな思いや愛情が垣間見られ
親も一生懸命だったのだろうなと
そんな思いに至りました。

そういう意味でも、生まれた時代というのは
間違いなく誰にとっても原点であるという再確認もできた絵本でした。


ということで今回はカロリーヌの絵本のご紹介の後編
時代もふくめての原点についての
お話をきいていただきました
最後までおつきあいいただきありがとうございました。


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