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お遍路記録④12番札所遍路転がし焼山寺

さて毎週水曜日配信のお遍路の思い出話
今回は第4回目、いざ12番札所
遍路転がし焼山寺へ。

四国八十八カ所お遍路の記録
5年ほど前ですが、やっとまとめられています。
よかったらお付き合いください。

実は今回は2回目の焼山寺

さて、前回のつづきです。

朝7時に11番札所に送ってもらったわたくしです。
12番焼山寺への山道の入り口から、いざ登り始めました。

1200年ほど前の、
空海さんが歩いていた頃の自然が
そのまま残っている唯一の道といわれています。
ですから、ここは絶対歩きたいと思っておりました。
わくわくです。

ただ、じつは今回のお話は
2巡目の時のことです。

一回目に焼山寺を訪ねた時は、
11番さん側からではなく、
次の13番側、
つまりは12番さんから降りた所から
逆に登りました。

この初回は、
友人と徳島駅からバスでそこまでいく
交通利用でのアプローチでした。
ですから、お山は登ってないのです。

ちなみにバスで行く場合は
徳島駅前から徳島バスの神山線に乗車し寄井中で下車します。
こちらからだと、かなり近く車道を歩いても行けます。
今回私が降りてきた道と同じです。
近隣にはタクシー会社もありますから
それで上まで乗せていってもくれます。

ちなみに、このバス停は、今回私が宿泊した宿の近くです。
また、そこから翌朝にのったのはコミュニティバスですが、
これと同じ神山町営バス
焼山寺行というものもありますから
それを利用するのもよいかもしれません。

当時は時間的にも余裕がなく
また体力的にどの程度可能か未知でしたから、
この選択をしました。

でも今回は既に八十八番札所全部を回り終わっていて
更に、この後半は、ほぼ、山を登っているので
身体がなれていたのだとも思います。
あら、楽しい!それだけで、歩いていけました。

焼山寺山

標高938メートルの8合目近くにあり、
四国霊場で2番目に高い山岳札所の焼山寺。

縁起によると、飛鳥時代に
役行者が山をひらき、
蔵王権現を祀ったお寺だそうです。

また、その後の伝説では、
大蛇が棲んでおり、しばしば火を吐き
村人を困らせていたそうです。
大蛇が火を吐いてこの山を焼いたから焼山寺というそうです。

それをおさめてくれたのが弘法大師
空海さんは、虚空蔵菩薩のご真言を唱えながら、
大蛇を岩窟に封じ込めたそうです。
ここにもかっこいいヒーロー伝説、空海さんです。

山道の景色

さて、この後の時間は、
その時スマートフォンで撮った景色の写真に
記録されたものしかないのですが、
それだのみですが

まずは穏やかなハイキング的な道
へんろころがし6分の1など応援として記されています

その後、30分ほど歩くと、
阿波市が眼下に広がります。

少し曇っています

さらにずんずんと歩いて行くと
藤井寺をでて3,2キロほどの所に
長戸庵(ちょうどあん)が現れます。
このあたりで標高400mらしいです。

まだまだ進みます。
途中、何人かご夫婦やお若い方やら
ひとりで歩く男性などもいらして、
ぽつぽつとご挨拶をしつつ、私は先を行きます。

おそらく柳水庵という庵があり、
この写真の場所だったような気がしますが、
時間は9時54分になってます。

柳水庵?


そしてまた、記憶が定かではないのですが
トイレがあったのがここだったような…

それもですが、ここで記しておきたいことは、
トイレで使う紙問題です。
山登りされる方はこういうことは
よくわかっていることと思いますが
わたしもそんなに慣れていなかったので
お遍路中にはポケットティッシュ
意識することになるのです。

勿論、山の中のトイレには
ペーパーなどありません。
でも普通のポケットティッシュでいいかというと
水に溶けないものは困ります。
場合によっては、持ち帰ってと言う所もありますが
一応解けるものならいいみたいでした。

ですからともかくお遍路中は
水に流せるポケットティッシュ!
これ必需品です。

そういえばどこかのお寺出たところで
手作りの小さな巾着に、
この流せるティッシュと飴を入れたものを
いただいたのです。
お接待です。
どこのお寺だったか、またその時のメモがあると思いますので
その時にご紹介したいと思いますが。

ともあれ、ここまでの間で既に
お山の昇り降り、昇り降り、と
そんな道が繰り返されています。

企業さんのお接待

そして、その後また少し降り始めた開けた所で
どこか徳島の企業の皆さんが
「お接待をしています」と準備をしていらっしゃいました。

ちょうど、近くに車道が走っている
開けた、お寺のような所だったようです。

そしてこれがかなり大がかり。
会社単位でこういうことをなさるだそうです。
社員のみなさん10人くらいはいたと思います。
もうすっかりイベント会場のようでした。

わたしも
「もうちょっと待っていただいたらお食事できますから」と
声をかけていただきましたが
ここで止まると、疲労物質がやってくるかもしれない!と思い、
足をとめたくないと考えていましたので
お気持ちだけいただき、ご辞退しました。

そしたら「お茶だけでも」と
ペットボトルをいただきました。

山の中で自動販売機などもありませんから
補充できたのはとてもありがたいことでした。

そしてまだまだ歩きます。
そしてだいぶ慣れてきた分、
気が緩むのか、少し疲れてきたのかしらと思うころ…

突如として石の階段が前に現れます。

そしてその上に大きな杉をバックに
お大師様がこちらをみているお姿が!!

感動しますよ

ここは浄蓮庵。
写真の時間は10:50でした。

朝7時にスタートしたので
3時間50分のぼってきましたね。

ここで標高最高地点745mだそうです。
お大師像の後ろにそびえるのは
お手植えされたとされる巨古木杉です。

このお姿になんだかとても励まされました。
「ようこそ、がんばてきたね」と迎えてくれて
お遍路さんを元気つけるような、
実に絶妙なところに、しかも美しいお姿を
たててくれたな、と感心します。
杉の木がまた神々しいのでした。

ただ、ここから一旦、下りになります。

遠く向こうを見ると
山の向こうにもう一つ高い山がみえます。

つまり同じ分だけ深く谷までおりて
またあそこの高さまで登る。
そこが焼山寺であり、
今までの道は違うお山なのだ…
そうなのだ、焼山寺はまだ登っていないのだ…と
実感します。

音声での配信はこちらから是非

先に写真もあげましたが
それまでのスタートの段階の道に
遍路転がし1などと札があって
急坂ですよとと、
あといくつで終わりますよ、と
書いてあるのですが
そこは実はそれほどではなくて
ここからの下り、そして更に登り、
この一連が、もしかしたら
一番ハードかもしれないと思いました。

ここから約1.5kmで
標高300mを一気に下ることになるそうです。
その後、途中で民家がある歩道をよこぎったり
沢が出てきたりして、まだまだ先は長いのです。

ここで11:44と記録

ここからが本番

折角登ったのに…となぜかそんなことを惜しみつつ
あと少しだしと思い直す道のりですが、
本番はここからです。

この後、しばらく登ってからはじめてちょっとだけ
「ええ~っ」と思いました。
でもこれはあまりな光景に
笑ってしまうタイプのものでしたが。

斜面が急すぎて、土の壁でしかなくて
上が見えないのです。
壁に張り付いた細道を行ったり来たり、
蛇行しつつ登っていく感じです。

絶壁みたいにそそり立っているような傾斜には
何の表示もなく、ただひたすら土が見えるだけを
ずっと繰り返している気がしました。
でも、きっと「あの空までいけば開けるのだろう」と
がんばります。

その細い道では、幾人ものお遍路さんが、
ところどころで座って休憩していました。
わたしは出発前に知人にいただいた
小さな金平糖みたいな飴を口にいれながら
ペースを変えずに歩いて行きました。
この飴が、なんだかとても元気にしてくれていた気がします。

そこで、途中途中で皆さんを追い越すたびに
「たべますか?」と差し上げながら進んでいきました。
みなさん喜んでくださいました。

やっと見えた看板

そしてやっと整備された道にでました。
そこには「お疲れさまでした。本堂⇒」と書いた看板が現れます。

けれど、油断めさるな、ここからです、
以外と長いのです。
山道ではなくなり、お寺に続くならされた道ですが、
いったん着いた気分になっただけに、このゆるみが、
「ええ~、まだなの~?」という
ちょっとだらしない気持ちを芽生えさせます。

岩肌沿いの道を進みますが
そこに並ぶ十三仏は
こんな気持ちをお見通しで
「もう少しですよ」と励ましてくれているかのようです。

大好きなお不動さん

そしてやっと仁王門、みえました!
と思ったら…その前に石段…

最後の階段

今までの道のりを思えば
全くちょっとなのですが…
すこしだけ、うっ階段…と思ってしまいました。
この階段前の写真は12:39、山門で12:40、
最後の1分でした。

山門

ということで5時間40分で登ってきました。

第12番札所 摩廬山 正寿院 焼山寺

まろざん しょうじゅいん しょうさんじ
宗派  高野山真言宗 ご本尊 虚空蔵菩薩
創建 弘仁6年(815)
真言 のうぼう あきゃしゃ きゃらばや  おん ありきゃ 
   まりぼり そわか

さて、ここでは納経後に、決めていたことがあります。
それは境内の食堂にある、
おうどんを食べることです!

売店での中に食堂がありまして
そこにまっしぐら。
入り口前には
お茶が用意されていて
ご自由にお飲みくださいとあり、
ガラスのスライド扉には張り紙。
「田舎うどん 200円」(当時)

おうどん13:15

正直、どんな味かは覚えていませんが
とにかく、スープが体に必要だったと実感。
塩分とお出汁、勿論水分、
しかもあたたかく染みてきて
とってもおいしかった、という記憶です。

年配の女性がお2人で営んでいらっしゃいましたが
「のぼってきたの?はやいね」と
とっても褒めてもらいました。
がんばったねえと言われているようで
素直にうれしいのでした。

納経所は少し下ったところだったと思います。
そしてここでは、途中で通ってきた
柳水庵、一本杉庵、そしてこの後、
降りる時に通る杖杉庵のご朱印もいただけます。

ですから一本杉庵もくださいとお願いしました。
そしたら「のぼってきて、今の時間についているのですか?」と
聞かれて、それはご立派とほめてもらって
またまた、気をよくする単純なわたしでした。

補足しておきますとこの杖杉庵は、
2km弱下ったところにある
四国遍路の元祖といわれている
「衛門三郎」ゆかりの庵です。

この場所については以前
お遍路のはじまりと言う話をしています。

リンクを張っておきますので
もしご興味あるかたはご覧ください。
一回目のことも重複していますが良かったら…。

https://note.com/karula/n/n10cc934f8c10?magazine_key=m700362efb642

シンガポールの青年と四国犬

さて納経所をあとにして
今日の宿へと向かいます。

これならもうちょっと先まで行った所で
宿泊してもよかったかなと、この時は思いましたが
でもやはり、意外と集落までの下り坂にも時間はかかりました。

そういえば、この途中で、日本人かなと思ったら
シンガポールからきているという男性と
少しの間一緒に歩きました。

ヨーロッパやオーストラリアから来ている人たちとも
他の所でよく出会いましたが、
東洋の方は少ない気がしていました。
このまま全部いっきに回るつもりだと仰っていました。

お遍路の道中ではいろんな方と少しだけ
一緒にあるくことがありました。
この時もそうですが、少しの間が多いです。
それぞれ歩くペースが違うから
相手に合わせると疲れてしまうからです。

でも少し会話をして、
情報交換をしたりします。
こんな出会いもまた楽しいものでした。

その後またひとりで
木立の間の道やら梅が満開の小径やらをあるきます。

このタイプの道が一番好きかもしれません

そのうち民家がぽつぽつ出てきてます。
小学校やお店も現れます。
まだまだ山間ではありますが
焼崎と言うバス停も現れます。
時間があえば、ここからバスで降りることもできます。

でも私の場合は、
バスが来るまで1時間以上あったので
そのまま歩きました。

民家と梅並木

ここをすぎたあたりからは
ほとんど舗装道路です。
途中、住宅もさらに増えてきました。
そんな中、犬を散歩している年配男性とすれ違いました。

その犬はとても強そうで、ハンサムで
でもなんだか可愛い顔をしていました。
中型犬で、シバ犬のような、秋田犬のような
短毛の尻尾がくるりとなっているタイプですが
何犬なのかわかりません。

そこでお尋ねしましたら四国犬だそうです。
土佐犬は聞いたことがありましたが
はじめて聞いた四国犬。
道理で初めて見たわけだと思いましたが
とてもファンになりました。
すっごいハンサムな雄でした。

四国犬に会った近くの枝垂桜

今宵の宿を選んだ理由

そしてようやく到着した宿でしたが
15時過ぎぐらいだったでしょうか。
さくらやさんという宿をとっていました。
まだしーんとした宿の玄関で声をかけると
おかみさんが出てきてくれました。

おかみさんにも
「早かったわね、一番乗りよ」と
ほめられて?いたわりの言葉をかけていただきました。
何度も言われて喜んでいますが
別に早いのがいいわけではないのですけどね。
ただ、何となく「元気だね」と言われているようで
うれしいのでした。

宿については、実は、もう少し先までいけば温泉もあります。
けれどそのエリアだと、
12番さんからの遍路道から離れててしまうのです。

勿論そのまま進んで13番につくことはできます。
もしかしたらそちらが近いかもしれません。
でもそうすると舗装道路、車道をひたすら歩くことになります。

その道には、バスが通っていますから
それで移動したい人はこちらがいいと思います。
けれどわたしは前日の続きの地点から山を歩きたかったので
一番この地点に近い宿をえらびました。

そして翌朝は、その遍路道の続きの場所まで
コミュニティバスが走っているので
それに乗り、戻り、歩き始めようと考えていました。

そうしたら、そうです書きそびれていましたが
焼山寺の山中でお話をした数人の男性方が
同じくこの旅館に泊まるとのことでした。
やはりおなじく、
朝のコミュニティバスを利用するつもりだと
仰っていました。
選択はまずまずよかったのかなと安心もしました。

と、まあそんな理由での宿選びだったのですが
お風呂もトイレも別の古いタイプの旅館です。

おかみさんのおもてなし

さて、玄関で迎えてくれたおかみさんですが
すぐにこう言ってくれました。

「ちょうどいいわ、お風呂に今お湯入ったところだから
まだ誰もお客さんいないから、ゆっくり入っていらっしゃい」

これはもう、とてもありがたいことでした。
他のお客さんは男性お遍路さんばかりだったようです。
浴室は多分ひとつだったので
男女時間を変えるとか
そんな形で入るシステムだったかもしれません。

でも、一番風呂でのびのび、ゆっくりさせてもらいました。
外からの明るい光がさすタイル張りの
10人くらいは入れるような浴槽、
バスを待たずに歩いてきてよかった~と
思ったものです。

その後は、近所にコンビニがあるのをしらべていたので
お食事たのまず、そちらで少し買い物をして
お部屋でたべました。

余談ですが、私はお食事が一人前食べられないことがあり、
特に歩いている遍路中などは、タンパク質だけ欲しいと思うけど
そんなに量は入らないとか、これは欲しくないとか…
普段から好き嫌いはないのですが、
いる・いらないの反応が激し目になります。
ですから、その後はずっとお部屋で過ごしました。

そうでした、これも書きそびれましたが
「おやつにどうぞ」と、お接待で頂いた
手作りクッキーもありました。
こちらをお部屋でいただきました。

頂いたクッキー

朝のコミュニティバス

さて、朝になりました。
皆さん随分早く出られたようで、
バスの時間ぎりぎりまで部屋にいた私を心配して
おかみさんが「もうすぐ時間よ」と
知らせにきてくれました。

それはそうか、他の皆さんは
夕食だけでなく、朝食でも食堂に集合しているから
その後も解っているけれど、
私とは誰も会っていませんから。
でも「5分前で間に合うはず…」と時間を待っていただけなのですけど。

ともあれ、そんな親切なおかみさんに見送ってもらって
バス停にむかいました。
この旅館はバス停とバス停の間にありましたので
わたしは先のバス停まで歩いて
そこでまつことにしました。

バス停には誰もいません…
間違っていないはずだけど…と
若干心配になった時に、ワゴン車の
町内コミュニティーバスがやってきました。
ドアが開くと、中には
前日出会った男性方がそろっていました。
ひとつ前のバス停から乗っていたのでした。

おじさま方は
「宿で姿がないからどうしたかと思ったよ」
「もっと先の宿に変えたのかなって話してたよ」
などと話題にして頂ていたようで
うれしいやら恥ずかしいやらでした。

そして、ここから遍路道のはじまりの場所で
皆さんと共に降りました。
山越え途中までは一緒でしたから
これも心強いことでした。

案内はところどころに立っていますが
「こっちでいいのかな?」という
心配がなくてよかったです。
というのも、そのうちのおひとりは 
もう3回目だそうですから。
そしてその方も
「こっちの道が初めは山だけど楽しいよ」と
仰っていました。

ということで、区切りうち3日目は
焼山寺から降りた場所、
旅館からは約3キロほど戻った地点から
玉ケ峠越えでスタートしました。

次の13番第大日寺さんまでは
18㎞弱あります。

ほぼ途中からは平地、
綺麗な水の鮎喰川と沿いも通りますが
車道、舗装道路が延々つづきます。
これはちょっと苦手なのです。
でも、はげましてもらったのですよ。
とてもありがたいお接待をいただきました。

次回は、この18㎞弱と
更にその先の17番札所まで
5つのお寺をお参りの中のこと
出会えた嬉しい人たちのことなど
記録していきます。

またよかったらおつきあいください。
ありがとうございました。


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