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愛の日に思い出すギリシャ神話

先日2月14日は、愛の贈り物をする日、愛を伝える日
バレンタインデーでした。

もう最近は改めてこの日に愛情をしめしてもらわなくても
日々伝えてもらっているから、結構ですよという方も
いらっしゃるかもしれませんが、
若い頃はこんなきっかけ、タイミングあった方が
良いと言うこともあるだろうなと思います。

わたしも昔は赤いバラを
バレンタインデーに頂いたりして
勿論男性からですが。

それから、高校生の時は
女友達からチョコレートをいただいたことがあります。

でも一番思い出に残っているのは小学校の時でしょうか。
女子全員で用意したチョコレート、小さなものですが、
それを朝早く登校して、男子全員の机の中にいれて
プレゼントしたことがありました。
仲が良いクラス、楽しい思いでです。

日本では本来の形とは様変わりしている
バレンタインデーですが
先にも申しましたが、
これきっかけで「行くぞ!」と燃えるならそれもいいですし、
でも恋人やご夫婦、既に関係が安定している方ほど
お互いに愛情を語りあったり表したり
していただきたいなと思うのです。

さて、そんな愛の日に、お話したくなったのはこの神話です。

ギリシャ・ローマ神話ですが
私が大好きであり、また、これを願ってもいる
そんなお話をご紹介します。
良かったらおつきあいください。

神話との出会い

このお話を知ったのは幼稚園の時でしたが、
今も、初めて読んだ時の気持ちはそのままで、
全く変わりません。

前世記憶というのがあるとかないとか…
実証されていないから深くは言いませんが
私には夢を通じてある人生を知らされまして、
実際に、現実でその夢でみた場所を確認したり
調べたりして、ある程度の形がわかっています。

その中で、この神話のような最後を望む
そんな強い思いが残っているようでもあります。

だからこそ子どもの頃から、
この話に引き付けられたのかもしれないと、
のちに思いました。

神話のタイトルは「バウキスとピレモン」
名前はあまりなじみがなと思いますが
かのルーベンスも絵に描いているらしいです。

「バウキスとピレモン」あらすじ

このバキウスとピレモン、
またはピレーモーンとか書かれることもありますが
これは老夫婦のお名前です。

ある日、この老夫婦が暮らす村に
貧しい身なりをして人間に身をやつして、
変装したゼウスとヘルメスがやってきました。
場所はトルコ中部だそうです。

ゼウスとヘルメスは、村人の家の扉をたたいては、
一晩泊めてくれませんかと尋ねたそうです。
もう夜も深まったころだったようで、
そのためか、それとも別の理由か、
ともかく誰も出てきてくれませんでした。

そして村中の家々を回り、
ついにある賤ヶ家に(しずがや)につきました。
私の持っている岩波文庫には「賤ヶ家」とありまして、
貧しいだけでなく、身分の低い人の住む家と言う意味だそうです。

扉を開けたのはバウキス、こちらがおばあさんの方です。
おじいさんがピレモンです。

老夫婦は客人を見ると中に招き入れ、
「何もないけどと」と言いながら、椅子を差し出し、
自分たちもそんなにたくさん食べるものがないのに
もてなしをしました。

「友だちらしい顔を、飾り気のない真心からの歓迎でした」と
本には書いてあります。

そうしているうちに、夫婦は気づきました。
少ないはずのお酒が、いくら飲んでも、
酒瓶から注がれ続けているのです。
そこで、このお二方は、天の神々に違いない
と気づき、膝まづきます。

そしてこんな貧しいおもてなしで申し訳ないと、
大切にしていたガチョウを料理して
お出ししようとします。

でもガチョウは逃げ回ります。
そしてゼウスたちの所に逃げ込みました。

そこでやっとゼウスが
「そんなことはしなくてよい、私たちは神だ」と名乗るのです。

音声配信はこちらから

そして
「この無愛想な村は神を恐れざる罪で、罰を受けなければならない。
けれどお前たちは受けなくてよい。一緒に丘までこい」と
二人をつれて村の小山に登ります。

年輩の夫婦なので、何とかきつい坂道を上がって
ようやく山頂にたどり着いた時、
村は湖に沈んでしまいました。
そして、彼等の家だけが残っていました。

この老夫婦は、優しいご夫婦でした。
まずは隣人や村人の不運を悲しんでいたそうです。
そして、残った彼らの家は
豪華な神殿へと変貌していきました。

そこでゼウスはいいました。
「徳の高い夫婦よ。望みをかなえよう。どういう恵みがほしいかな」

そこでピレモンはバうキスと相談をしてこたえました。

私たちはこの神殿の司祭として番をしたいと存じます。
なお、私ども2人は今日までお互いに仲良く暮らしてまいったのございますから、どうか、同時刻にこの世の息を引き取らせて下さって、私が生き残った婆の墓をみたり、また婆から私の墓を埋めてもらうようなことのないようにさせていただきとおございます。(ギリシャ・ローマ神話/岩波文庫)

そしてゼウスたちはその願いをかなえてあげました。

その後、老夫婦は、また更に長く希望通りにくらしました。

そしてある日、さらに年を取った二人が神殿の前で昔話をしていると
バウキスは、ピレモンの体から
木の葉っぱが噴き出しかけたことに気づきました。
そしてピレモンも、バウキスが
同じように変わっていることにきづきました。

そうするうちに木の葉の冠が二人の頭を覆います。
2人は話が出来る間中、別れの言葉を取り交わします。

「さらばわが妻よ」「さらばわが夫よ」二人は一緒にいいます。
そして同じ瞬間に、木の皮が口をふさいで
二人は2本の樹になりました。

丘の上に菩提樹と樫の木が1本ずつ、
善良な老人のしるしとして、テュアネ地方に立っています 

というお話です。

幼稚園児のわたしの想い

この神話は
善良な老人のしるし、であり
ひとを身なりで判断しないで
心からのもてなしをした姿、
そんな風に親切にしようね、とか…
そんなことを話したくて
子ども用の本に載っていたのかな、
とも思います。

でも、初めて読んだ幼稚園の時から、
私の中では、そんなお話ではありませんでした。

当時から、愛する人と長く寄り添い
相手に自分を見送らせることも、
逆に自分が見送ることも
とても悲しい事で、味わいたくないと
強く思ったのでした。

だからふたり一緒に、
「この世の息を終わらせてほしい」というここが
とてもとても胸に残ったのです。
それならどんなによいだろう、そう感じたのです。

2本の樹は、善良の証みたいに書かれていましたが
私にとっては愛の証であり、護られた愛のように
感じたのです。

おとなになってからの想い

大人になって、祖父母を見送ったり
親を見送ったり、そして友を見送ったり、
また、大切な人や、配偶者を見送る人達にも
寄り添ってきました。

そして、私自身も安心して旅立ってもらうために
見送る強さも持たなくてはとも思いましたし、
その辛さの中でも、抱えられる以上の辛さは訪れないこと、
たくさんの助けがやってくることも知りました。

でも、それでもまだなお、
一緒に歩んできた配偶者を見送る、
或は見送れる、ということへの覚悟はできていないようです。

なので、どうしてもまだ、こんな最期を願ってしまいます。
このご夫婦もそう思ったのかしらと、
そんなことを思います。

愛を思う日

ということで今日は愛を祝う日
バレンタインデーから思い出す神話のお話でした。

カップルの人もシングルの人も、
自分の中にある愛を振り返って
そこに感謝してみるというのにも良い日だなとも思う日でした。

最後までおつきあいいただきありがとうございました。

それではまた次回。


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