見出し画像

本も洋服も

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いまさらあらためて、ふと思うが。

世の中にはこんなにもモノにあふれている……。

本屋に行っても、洋服屋に行っても、それを思うと気が遠くなる。
同時に、消費されて廃棄される世界も見えるから。

これだけのものを作っている・書いているひとたちがいて、
世の中に登場し、並べられて見せられるわけだけど、
その後も残り続けるものは実に一握り。
処分されるその行く末を思うと、自分の罪深さを意識することになる。
消費社会のただなかにいる自分の――。


わたしにとって、本も服も「捨てられないもの」の一つ。

正確にいえば、本については「捨てられない」ではなく
「捨てない」と決めているものだけど。

時代錯誤と言われようとも、紙文化大好き!
本は心の旅だし。

人間のありようを見せられて気持ちがゲンナリするときは、
せめて書物の中でワクワクしたり、ハラハラドキドキしたり、
別世界へ逃げ込みたいと思ってしまう。
本の中――ページの間には、立体的空想世界がたしかにあるから。
活字の中から、どうしてあれほどまでに世界が広がっていくのだろう?

やっぱり、図書館のある家に住みたい。
図書館に住みたい、ではなくて、おうちに図書館がほしい。

ただ、読書の趣味が偏っているので、
蔵書を誇れるような立派な図書館にはなりそうにもないが、
本を捨てずにすむこと、どの本もわたしのもの!
――という空間への憧れは続く。

大好きなものはいつでも手近なところに置いておきたい。

洋服は、少し違うかも?
ブティックのあるおうちに住みたい、とはならない。

結局のところ言ってしまえば贅沢品なのだろうし、
着られればなんだっていい――のかもしれないのだけど、
気持ちを上げてくれる服っていうのはあって。
おしゃれを考えるというのは、やっぱり心が躍るもの。
自分がホントのおしゃれさんかどうかは別として、
着たい服を選ぶ、試着してみる、
好きな服を着て出かける――ということには、少なからず
特別な気分にもなり、心浮き立つ瞬間も味わえるわけで。

ゆるくリラックスしたいとき、いわゆるお出かけのとき、
というのは、かえって妙に迷ってしまうことも多いし、
うろうろ考えるのは悪くない。
あまり納得できずに出かけてしまうこともあるけれども。

そういえば、昔、夫には変なカッコをしているから
遠くからでもわかる、 と言われたことがあったけれど、
いたって地味に普通なものが、もしかしたら
彼にとっては異質に思える時代だったのではないかしらん。

服選びに一番積極的、真剣になるのは、
おだやかならざる日に気持ちを整えて出かけたいとき、
なにかに対抗しなくちゃならない場所へ出かけるとき。
そんなちょっとギリギな気持ちにさせられる予定に備え、
自分なりの「衣装」で出かけることを考えるのは、
これはこれで案外なかなか楽しいこと。

明日は戦闘服モードでいくぞ!
(別に本当に戦闘服スタイルなわけではない)
きょうはなんとなく、自分の中では○○な雰囲気で!
(もちろん手持ちでは実現できないこともある)

もちろん敗北することもあるんだけどね……。
何に対してかは、自分でもよくわからないけど。

そんなわけで。
物欲まみれの自分を否が応でも意識はしているけれども、
いろいろに言い訳しながら、
廃棄社会にも参加していないふりをして、
きょうも活字に飢えて貪りつくせそうなものを探し、
何を着て出かけようかと煩う。

嗚呼、ほんとうに。

ほんとうに、まったくみことばが実践できない罪深いわたし。

そして、まったくもって、なんてとりとめのない話。

(2018.6.19 Facebookノート掲載)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

人間そんなに変わらない……ということの読み返しが続くようだ。
これもまたその一つだなぁ、と苦笑する。
その日意識させられたことを勢い(というほどスピード感があるものではないが)にまかせてつづったものだと思う。
自分の成長度合いの低さをつくづく実感させられる。

人はいくつになっても成長できる、と思う反面、自分の怠惰で欲深い習慣・習性は正すのが難しい。
明け渡して委ねておおらかに、と願いつつも、些事にとらわれムスムスとくすぶらせて悩むこともある。

最後に出てくる「みことば」は、聖書のマタイによる福音書のことだ。

「だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」
        マタイによる福音書6:31~34

(日本聖書協会新共同訳聖書より)

あらためて心にとめてみる。
相も変わらず、思い煩いのとまらない日々ではあるが。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?