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二倍、三倍

8年前の思い出――。
Facebookでひょっと浮かび上がってきたので、なるほど8年前か……と移り変わりを感じながら読み返した。

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今週、「あなたが二人いればいいのにね、って言ってたよ」と言われ、
「いや、面倒くさい人間が増えるだけですよ」と笑って返したら、
「それって二人分働けってことだよ」――と言われたことがあった。

もちろん本気ではなく、激励の冗談ということはわかっている。
けれども、ちょっと笑えない気持ちもどこかにぽつんと残っていた。

ただ、そのやりとりのおかげで瞬間に気付かされた。

ひとりで二倍は働けない。
そして、ひとりで二倍働いてきたこともない――ということ。

この10数年を振り返ると、ひとりで働いてきたことなんかなかった。
気持ちはあっても、ひとりで二倍、三倍なんてことやれたこともなかった。
たとえばふたりで3人分、4人で7,8人分の仕事を、
“仲間”と一緒にやってきたんだ、と。

実際そういうやりかたを教えてもらってきて、同じ思いで引き継ぎ、
試行錯誤してきたというささやかな自負もある。

教えてくれた方の、そして、一緒にやってきてくれた方々の力に、
あらためて驚く。
恵まれていたことを深く実感する。

異動して、環境はもちろん仕事の中身も少し変わった。
勝手が違い、ちいさなところでなかなかに難しいところもあるけれども――
それでも気にかけてくださって、応援してくださる方々もいる。
これまでの感謝とこれからの励みを信じていこう、と思わされた瞬間。

これからも「ひとりではない仕事」、「ひとりではないからこそできる仕事」を目指さなければね。

 「ふたりはひとりよりもまさっている。ふたりが労苦すれば、良い報いがあるからだ。
 どちらかが倒れるとき、ひとりがその仲間を起こす。
 倒れても起こす者のいないひとりぼっちの人はかわいそうだ。
 また、ふたりがいっしょに寝ると暖かいが、ひとりでは、どうして暖かくなろう。
 もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。
 三つ撚りの糸は簡単には切れない。 」
          (伝道の書4:9-12・新改訳)

(2016年4月16日 Facebookのノートに掲載)
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これはちょうど部署異動したときだったが、だれに・なぜ・このときにそのようなことを言われたのか、思い出せない。
前の部署の業務を後任に引継ぎしながら、新しい部署で仕事をしていたからなのか?
さほど行ったり来たりがあったような記憶もないのだが…………と、まぁ、そんなことはどうでもよい。

当時の同僚たちの顔を思い浮かべる。

ひとりはこの数年後に地上の生を終え、ひとりは旦那様の新天地へついていかれた。転職の道を選んだひともいるし、今もまだ同僚であるひともいる……。
自分の異動が決まったとき、今もまだ同僚であるひとりも同時期に異動したので、この年の3月末であのチームはたしかに解散したのだった。

単に人間関係がよかったということではない。たったひとつのこと――「カスタマーファースト」を、だれもが共通の信念として持って業務にあたっていた。そのことが実感できる仲間だったから、あらためてそれを振り返ってつづらずにはいられなかったのだろう。

部署としては当然存続していたし、今もある。
が、しかし、同じではない。
機能としては同じでなければならない役割の部署だし、傍目には何も変わりはないとしても。

その後、2度ほど担当部署が変わった。預かる人数もその都度変わった。再び同じ部署に配属されるひともいたし、まったく新しく出会うひともいた。
そのたびごとに同じ目標を意識して、信頼し合える仲間として働いていくことを目指してきたが、どうもそれまでのようにはいかなかったと思う。
失敗したという感覚でもないのだが、与えられた人材をじゅうぶんに自分が活用できたという実感に乏しい。
思いを共有することの難しさを、以前よりも強く感じるようになった。それはチャレンジであり、自分に課されたタスクだと覚悟してはいたけれど。

DX、AI、コスパ、タイパ……トレンドがうつりかわり、なにごともアップデートが求められるのはいつの時代も同じ。
いつだって、そういったものがしっかり浸透している世代と、ともに働くことになる。
世代間ギャップを受け止めながら、時にかすかな抵抗感を抱えつつも、時代遅れ(錯誤)や化石化してはいけないと思い、必死で学びとろうと向き合う。
未熟なまま次から次へ。
中途半端なのに、誤解されて評価されることもあった。

思い出の記録からの8年間は、そんなことをちいさなスパンの中で繰り返してきた。良く言えば自分を磨くことであったし、悪く言えばすり減らすことであったと思う。

そして、あらためて、”いま”――2024年のゴールデンウィーク。

この2016年の時のような謙虚な決意をもって、ここにいるのかどうかと、自問させられている。

そうそう。
見出し画像のセイヨウオダマキの花言葉は、「決意」とか「愚直」だとか。
それがいま目に留まったのも、なにか意味があるかもしれない。


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