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快楽の園のその先

 神経伝達物質ドーパミンは、過剰に分泌されると依存行動が生じる。通常、ドーパミンは「ランナーズ・ハイ」とも言われる様に、移動運動によって生じる。しかしドーパミン過剰による強い快楽依存は貪り続けないと気が済まない衝動に駆られるのだ。この状態は恐らくマリファナやコカイン、ヘロインなどのドラッグによる症状で皆様は聞き覚えがあるかもしれない。
 先日読んだ「脚・ひれ・翼はなぜ進化したのか」の中でドーパミンの「誤解」についての興味深い説明があった。あるラットによる研究によると 高ドーパミン状態の動物は活動的で注意深く、好奇心旺盛で、反対に低ドーパミン状態の動物は惰性で動くだけの無気力な存在になるという。低ドーパミン状態は強度な快楽によって耐性がついたり、なんらかの先天的な異常により再吸収の処理に欠陥がある個体がもつ症状である。
 つまり、ドーパミンは単なる快楽のためにある神経物質ではなく、私たちがより良い個体になるために生まれながらにして与えられた贈り物であるということになる。注意深く活動的に動くことで古くから人間は多くの外敵から身を守り、狩猟や採集行動で種を存続させてきた。そしてなによりも私たちはその他稀なる知的好奇心によって現代文明社会を作り上げた。今や私たちは人間以外の外敵から自力で身を守る必要も、木の上になっている果実をとることさえない。時速100キロの鉄塊の中で高カロリーのピザを食べることができる社会になった。
 代わりに私たちは走ることや運動することを厭うようになり、もはや自分たちの手だけでは満足に野菜すら育てることができなくなった。
 そして我々は、進化で生まれた滑らかな移動運動をするためにスポーツジムに入会する。資本主義システムにおいては私たちの進化の奇跡ですら月額制の鎖に絡め取られてしまう。
 本来持っていた人間の本能によってうまれた文明によって人間が本能による移動行動を制限あるいは阻害されているのは全く皮肉である。
 欲望のままに、惰性で無気力な存在と化した個体をよく街中で見る様になったのは、文明社会によるドーパミンに耐性がついてしまったからなのだろうか。

 私は、いつまで走ることを楽しいと感じられるだろうか?

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