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「不平等だ」となげく君へ

 この地球上に、真の平等というものは、訪れることはない。私たちが違う言語を用いて交流し、それぞれの美しさ、強さ、信念を持っている限りは。不平等だと嘆く人は憧れの裏返しか、現在住んでいる地域の政治的主義主張に反対する人々である。そもそも、資本主義は平等の精神からのシステムではない。競争社会を生み出す血の気の多いアングロサクソン国家にはもってこいの主義で、この効果は人類・文明の発展に大きく寄与している。それに対する共産主義は市民の権利を制限した平等を作り出したが、独裁という形で一人のドイツ人が抱えた理念は崩壊した。とある国では「人間の顔をした社会主義」というのもあったらしいが現在この国は資本主義国家である。
 民主主義政治において、国家は平等ではなく、公平を求める。判断が一部に偏らないように党が存在し、議会では話し合いが行われる。民主主義について興味深い事例をもう少し。

イスラーム国家の民主主義は、人間は生まれながらに不平等であるという前提に立っている。神がイマーム(指導者)を定めるのであり、人民は選択する立場にない。この点で民意を重視する他の民主主義国家とは一線を画すが、この発言の源流となってくるのは、イスラームの魂の解釈である。
イスラームにおいて人間の価値とは精神的な高さにある。生まれたときからそれぞれ異なる魂を人はもっているので、その魂をさらに高めるために、六信五行を実行する。ムハンマドの教えが、彼らの精神的価値を高め、死後に天国に行くことができる。

先日、友人の勧めでとあるスピリチュアル系の本を借りて読んでみたが、おおよそ似たようなことが書いてあった。魂というのは人間が作り出した概念の中で最も神秘的で美しいもののひとつであるから、本当に存在するとしたらこの世界にも希望が持てそうだ。まさに「信ずるものは救われる」。

 また話が脱線した。そろそろ結論に入ろう。

 生きている限り、衝突は避けられない。神の下の平等というのは、神の視点に立たなければ享受することはできない。私たちは人間社会で生きる人間であって、それ以上のものになるには死をもって体を捨てる必要がある。
私達は、平等を謳うにはあまりにも高慢に、強欲になった。
不平等だと嘆くなら、まずは自分の胸に手を当てて君が何を求めるのかをきちんと明確にしたほうがいいだろう。強欲な君の魂は、おそらくなにか求めるものがあるはずだから。


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