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痛みが教えてくれるもの

RADWIMPSの「One man live」という
曲の歌詞に好きなフレーズがあって↓

もしも折れかけた
その足に痛みを感じなければ
君は何も知らず 
歩き続けるだろう
傷ついたことに気付いてと願う 
その痛み達は
君を守るためにそこにいたんだよ

この歌詞すごく好きなんです。

たしかに、怪我をしていても
痛むことがなければ
その怪我に気づかないことがある。

怪我していることよりも
苦しくて耐えられないのは
痛みそのものだから。

だから拒絶したくなる。

でも根本的な問題は
怪我をしていることであって
痛みそのものじゃない。

でも人は痛みにフォーカスしてしまうのだ。

この歌詞が言いたいのは、
その痛みは、怪我をしていることを
知らせるためにあるんだよってこと。

悲しみとか辛いって
つまり”痛み”のことかなと思っていて
それを感じることができなかったら
心の傷に気づかないまま
生きていくことになる。

それを放置していると
その傷がどんどん悪化して
気づいたらとんでもないことに
なっていたりする。 

だから、たまに
そういうことを知らせるために
とんでもないことが起きるのかな。

一見、マイナスにみえるような
出来事の中に、
実はものすごく貴重なものが
隠れていたりする。   

辛さとか痛みを感じたことがないと
幸せも感じれないかなと思うんだよね。


人生に「楽しい」しか存在しなかったら
人は「楽しい」をそもそも認識できない。

寒さを一度も経験したことない人間は
暖かさを認識できないし、

対極にあるものを経験し
対極にあるものを持っているからこそ
楽しいを実感することができる。

だから、悲しみとか、辛い経験をすると
人の温かさとか、ありがたさを感じれたり、

痛みを感じることで
少し強く優しくなれる気がする。

そう思うと
すべての経験は豊かさにつながる。

痛みは怪我をしていることを
知らせてくれるだけではなく

次のステージにある
幸せにつながる何かに
気づくためにあるかもしれない。

たまに胸が裂けそうになるぐらいの
辛い経験をすることもあるけど、
それもすべていつか
幸せの一部になる気がしている。

人間って、やっぱり
考える時間軸が短すぎる。

そのときはわからないけど
後々になって、
あの時にあの経験してよかったって
思えたりするじゃない?

わたしは、人生で1番辛いなって
思ったときでも、不思議と
昔のほうが幸せだったとは
思えなかった。

なんでしょう。
死ぬほど辛い今でも
輝いてたように見えたあの日々より
今の自分のほうがいいって
思えたからかもしれない。

自分の違和感を無視することなく
そのとき自分が信じることを
選択していくほうがいいんだなって。
結局、自分の足で立つことが大事。

やっぱり、どんな経験でも
そこに意味づけしているのは
自分自身でしかない。

これって、とても自由で
一方ではとても厳しいこと。

でも、それでも
私は、自分の幸せを
誰かにどこかに依存させることなく
自分の責任のもとで決めたい。

依存するほうが
一見楽なようで
実は1番険しい道だったりする。

やっぱり、何ごとも
スパイスがあったほうがいい。

本物の豊かさって
そういうものなんでしょうね。

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