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進撃の巨人から学ぶ思想を持つことの弊害

noteを書くのがとてもお久しぶり。
というより、文章を書くのがとてもとてもお久しぶり。

ここ2年間ぐらいは、人生の夏休みを過ごしていた。会いたい人に会ったり、飲みに行ったり、誘われた場所に足を運んでいた。その時の気分に流されながら生きていたら、いつの間にかそうなっていた。それはそれで、とても有意義な時間を過ごせたし、人と関わることで、より自分らしさが見えた気がした。人の出会いには恵まれている。

ただ、今年に入ってから、なんだか夏休みに疲れた自分がいて、流されるままではなく、何か目的を持って、何かを頑張りたいという気持ちになり、何を頑張りたいかは、正直まだわからないけど、最近はインプットとアウトプットしたいな〜という気持ちになっている。

そんなわけで、かなり映画を観てます!

やっぱり、映画を通して見える世界を考えるのが大好き。自分の周りに起きることについて、言葉にしたくなることもあるけど、映画も自分の周辺で起きているような気がする時があって、自分の周辺に起きてるかような感覚で、あれこれ考えるのが本当に好き。たとえそれが、何も意味のないことだったとしても。

進撃の巨人から学ぶ思想を持つことの弊害

最近は、本当にいろんな映画やドラマ、アニメも観てるが、中でも超絶ヒットしたのが、「進撃の巨人」。

今さら!と思われるかもしれないけど、私はアニメや漫画の世界に触れてこなかったので、「進撃の巨人」は全然観たことがなかった。

周りの人から、「カロは絶対好きだから観たほうがいい」と何回も、何人からも言われたので、ついに重い腰を上げて観始めたわけだけど、想像をはるかに超える面白さだった。

あれは、人類の歴史そのものだったし、なぜ争いが終わらないのか?なぜ、世界が平和にならないのかを描いてる作品でもあったように思う。

細かい考察はするつもりないし、作品紹介ではなく、ここではひたすら思ったことを書いていくだけ。

私が1番思ったのは、争いがなくならないのは、みんな思想というものを持っているからだと思う。この思想というのは、必ずしも宗教や信仰のことではなく、「これが正しい」という考えのこと。何かを正しいとすると、それに相反するものは悪となる。争いとは、正義と正義の衝突。

これって、すごく難しい問題だよね。だって、思想や正義を持たないことは無理。思想を持たないことも、それも1つの思想である。何かを肯定するということは、別の何かを否定することになる。そんな世界で私たちは生きている。

結局、人はずっと戦い続けるのか。この歴史は何回も何回も、繰り返されるしかないのか。「進撃の巨人」をラストを観て、そう思った。

ドラマ「ゆりあ先生の赤い糸」

そんな中で、全然違う作品の話になるのだけど、菅野美穂さん主演の「ゆりあ先生の赤い糸」というドラマを観た。菅野美穂さんが演じる主人公は、仲良く夫と二人暮らしをしていたが、ある日突然、夫が倒れて意識不明になる。その間に、夫には、彼氏、愛人らしき人、その愛人に娘2人いることを知る。こんな感じのイメージ↓

面倒くさい姑と面倒くさい義理の妹もいて、目覚めない夫の介護をしないといけない中で、いろいろあって、愛人とその娘たちと、夫の彼氏もみんなで一緒に住むことになるというあり得ない設定のドラマ(笑)

このドラマ、「進撃の巨人」を観た直後だったからか、結構考えさせられるものがあった。

主人公からしたら、本当に赦せない状況で、夫を憎んでも仕方ないし、そんな夫と別れたとしても、誰も責めないことでしょう。

ただ、この主人公のゆりあ先生はそうせずに、最初は憎みながらも、1人で夫の面倒をみるより、みんなでみるほうが自分が助かるという、とても合理的な判断をする。最初は、そんな動機でも、最終的にみんなが本当に家族になっていくという話。

私は、これを観て思ったことは、誰かを赦すか赦さないかって、「赦せない」のではなく「赦さない」と自分自身が決めていることである。ひどいことをされたから、赦せないというのは、成り立たない論理かもしれない。

ひどいことをされて、赦さない人がいて、赦す人もいる。たとえ、自分が正しくても、それでも最初に謝る人がいる。

最初に謝る人が偉い。そう思った。

そして、だいたい相手を知っていけば、賛同しなくても理解できることは多かったりする。

本当の強さとは

思想を持たないことは無理なこと。それは決して悪いことではなく、人間の特性でもあるだろうから、常に自分の正義感は存在し続けるし、それが誰かの別の正義と衝突しなければ、何も弊害はない。

でも、1つの正義は必ず別の正義と相反するから、思想というものを持っている限り、争いや衝突は起きる。それは、もしかしたら避けられないことかもしれないけど、そのまま衝突し続けるかどうかは、自分が判断できることではある。

100%自分が正しいと思っても、謝ることはできるし、相手を理解する努力はできるはず。

「進撃の巨人」で好きな登場人物の1人がアルミンなんだけど、アルミンはずっと話し合いを強調していた。あのような状況の中で、その信念を貫くのは、本当の強さなんだろうなと思った。だから、アルミンが好きだったかもしれない!アルミンこそ、1番強い人だったかもしれない。(リヴァイ兵長も大好き!)

「進撃の巨人」は、民族や国同士の話を描いていて、「ゆりあ先生の赤い糸」は、家庭を描いてる。規模は全然違うけど、両者が抱える問題は、結構似ている。そして、それを解決する鍵も同じなのでは?と思った。

人間関係における本当の強さとは、勝ちづけることもよりも、先に折れることなのかもしれない。

本当に、世界平和をのぞむなら、「この思想が正しい」と主張するのではなく、相手の主張に耳を傾け、受け入れる姿勢、歩み寄る努力こそが重要で、本当に正しいことをするには、「我」を捨てないといけない時がある。「我」を捨てることはこの世界で最も難しいことなのではないかとも思ったりするけどね。

しかし、努力はできる。国同士の問題や、世界平和を解決できないけど、せめて自分の周辺の平和なら、頑張れることかもなって思った。

まだまだ、先に謝ることはできてないけど、アルミンやゆりあ先生みたいな強い人にはなりたい。

なんだか、真面目な文章になってしまった。でも、久しぶりに自由に思ったことをアウトプットできて、すごくすっきりした!

最後まで読んでくれてありがとう。

またねー!

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