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未知だからこそ価値あるもの

わたしは、自分の未来に興味がないみたい。
最近そのことに気づいた。

タイムトラベルができるとしたら、
恐竜がいた頃の地球か
エジプト文明が盛んだった頃に行きたい。

未来に行けるとしたら、
100年後の地球はのぞいてみたいけど
自分がいる未来は見たいと思わない。

だって、知ってしまったら、
なんとなくそこに向かって 
生きることになりそうだから。
そんなのつまらない。

たとえ、幸せそうにしてたとしても
知ってる未来に向かって生きたくない。

前からなんとなく、人生って
ハッピーエンドが決まっている
ストーリーだと思って生きてきた。

どんな道を歩んだとしても
どんな苦しいことあっても
ありきたりかもしれないけど
明けない夜はないというかw

最後はハッピーエンド。

そのハッピーエンドに
向かって歩いてるのだ。

でも、どんなハッピーエンドか
知ってしまったらどうなるでしょう。

今思うと、今の幸せって
多くの選択の連続と
時には苦労の上で成り立っていて、

ひょんなきっかけによって
予想つかないところに
つながったりして、

物事が思った通りに進むことって
ほぼないと思う。

そんな予測不可能な毎日の中で
常に選択をしながら生きている。

そしておそらくなんだけど、
未知な世界であるからこそ、
わたしたちは選択するということを
できている気がする。

最初からその道の先にあることを
知ってしまったら、
怖くていけないかもしれないし、
頑張らなくても、
どうせこうなるんだから、
何もしなくていいやーって
いろいろ放棄して、
人生から経験するチャンスが
奪われてしまうかもしれない。

最初から知ってしまったら
選べない道がある。

人間って何でも知りたがるけど
「知らない」ことも大事だなって。

未知だからこそ楽しい。

そう。

本当に楽しいのは、
物事を知っていくその過程であって
知っているという状態には
そこまで価値がないのかもしれない。

昨夜、そんなことを考えていて
だからわたしは、自分の未来に
興味がないんだろうなって
腑に落ちたのだった。

1年前の自分を思い出すと
まったく違う自分で、

1年の間で
予想つかないことばっかり起きた。

そんな予測不可能な毎日を
生きていることが
最高に楽しいのかもしれないなぁ。

会社でやったワークでも
自分は未来志向ではなく、
原点志向であるということを言われて、
それも腑に落ちた。

未来志向の人は
目標やこうでありたい状態を決めて、
それに向かって
逆算して行動していくのに対して

原点志向の人は
過去を振り返り、
過去のパターンの中から
今をどう生きるかを考え行動するらしい。

いや、たしかに、
わたしは完全に原点志向だし
基本的に「原点」というものに興味ある。
なんでもw

どっちがいいとか悪いとかもない。
ただ、世の中は未来志向の人が多いから
目標がない人は向上心ないみたいに
思われることが時々ある。

でも目標を達成することに
価値を感じない人もいるんだよ。
でも向上心は、ないわけではない。
むしろちゃんとある。

比べる必要はなくて
それも自分の強みで
利用したほうがよい。

だから自分の素質を知るのは
大事なことだと思っている。

まぁ、そう思うのも
原点志向だからだろうねw

本当は自分の素質も
未来によって変わるかもしれないから
それも知り尽くすことに意味ないのかも。

本当にそう考えると、
自分のことだって
こんなに知らないのに
他人を知ることなんて
絶対に不可能。

そう、未来と同じように
他人にも興味がないんだよね。

人間に興味あるけど
人には興味ない。

これはわたしの中で
かなり揺るがないんだけどw
まぁ、同じ原理なんだろうね!

ここでわたしがいう
「人間」と「人」の区別は
わかりにくいかもしれないけどさ。
(またいつか書くとしてw)

まぁ、ざっくり、
そこまで人に期待してないということだ。

その人がどう生きようが
どう考えようがどっちでもいい。
いつからかそう考えるようになった。

気づいたんだよね。
期待することに意味がないということに。

母親はすこくウェットな人なので
ウェットであることが
愛の表現と思ってたし

愛してるから知りたい。
愛してるから喜ばせたい。
それが愛するということだと。

でもさ、もし自分の知りたいとか
喜ばせたいというその願望が
相手を窮屈にしてしまうのなら、
それは「愛」と呼べるのだろうか。

なんか違うものな気がするんだよね。

昔から、たぶん子どもの頃とか
薄くそのことに気づいてて
違和感はずっとあったんだと思う。

だから、家族に対しても
友だちに対してもちょっとドライだったし
期待されるのも嫌だった。

愛情表現を求められることが
窒息しちゃうんじゃないかってぐらい
死にそうになる。爆

そんなわたしを
冷たい人だなって
自分で責めたこともあるが


今はそんな自分嫌いじゃないし、

たまに人を観察していると
一見ウェットな人より
ドライな人のほうが
愛が深いと思う場面とあって
表面だけでは判断できないと思った。

愛の深さなんて測れないけど。

まぁ、正解はきっとない。
人の数だけ愛の形はあるんだろう。

そんなわたしは、
結婚生活では
かなり相手を窮屈にしたけど
そういう愛の仕方しか
知らなかったからだったかもしれない。

自分自身を苦しませていた
その愛の仕方を相手にしてたんだろうね!

いろいろ腑に落ちる。

話が脱線したけどw

つまり、未来と他人は
多くのことを知らずままで
期待しないほうが
幸せなんじゃないかという結論。

それが自分の人生を生きるということ。

今日のところは、
そんな仮説で落ち着こうw

これからも未知を楽しもう。

そして、やっぱりわたしの場合は
とくに知らない世界に興味あるかな!

だから定期的に
まったく違う世界で
まったく違う空気を
味わいたくなる。

それだけはもう
変えられないかもしれなくて、

いつも4〜5年のサイクルで
断捨離欲が強まる。

そういえば、1月に
友人と今年の漢字を決めて
それが「離」だったけど、

その通りに生きすぎていて
やっぱり物事に愛着のない
薄情な人だなって
自分で思う。笑

でもそれでも、
それは愛だと思うんだ。

だからこれからもそう生きると思う。
変えるつもりはない。

身軽のほうがよい!

この文章で本当に書きたかったこと
これかもしれないw

おしまい。

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