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【中3数学】応用問題になるとできなくなるのはなぜか

「因数分解の応用問題が解けません」

数学が苦手という中学3年生Kさんとのやりとりはここから始まった。
私「具体的にはどんな問題が解けないのかな?」
Kさん「例えばこんな問題です。」

3x(x-2)-(2x-1)(x-5)-(2x-1)

私「よし、じゃあ実際に解いてみよう。まずどこから始める?」
Kさん「はい、まずは展開します。」

3x(x-2)-(2x-1)(x-5)-(2x-1)
=3x²-6x+(-2x+1)(x-5)-(2x-1)

私「なるほど、まずは-(マイナス)を括弧の中に入れたんだね。それから?」

3x²-6x+(-2x+1)(x-5)-(2x-1)
=3x²-6x+(-2x²-10x+x-5)-2x+1

展開の際によくある符号ミスである。余裕があれば本人が気づくまで待ちたいところだが、時間の都合上私から指摘を入れた。

私「実はね、今の式変形には間違いがあるんだ。どこだと思う?」
Kさん「やっぱりそうですか。」

本人の中でも『違和感』があったらしい。『違和感』は計算ミスを自力で見つけるために大切な要素なので感心していると

Kさん「最後の-2x+1のところですよね。」

どうやら他のところが気になったようだ。すぐに訂正したい気持ちをぐっとこらえて

私「具体的にどこが間違っているのかな。」
Kさん「本当は全部展開しないとですよね。(-2x)とxと2xを掛け算しなきゃ。」

始めは正直何のことを言っているのか分からなかったが、後に
(-2x+1)(x-5)×(2x-1)
と勘違いしていたことが分かった。生徒はしばしば私の想像を超えた認識をしていることがある。そういう時、すぐに否定するのではなく生徒の話をよく聞いて根本的な原因を究明することが大切だ。
ただ、勘違いが分かったところで私から指摘はしない。

私「よし、では実際に計算してみよう。」
Kさん「はい。-4x³になります。あれ、おかしいですね。」
私「どこかおかしいと思う?」
Kさん「3乗が出てくるのはおかしいです。」
私「その通り。では他の場所から間違いを探してみよう。」

ここに数学の魅力が一つ垣間見える。数学は非常に客観的な学問で、人によって結果が変わるということはありえない。つまり、どこかで誤ってしまった場合、その先で矛盾が生じることが多い。(もちろん3乗が出てくることもあり得るのだが、ここでは黙っておく。)

Kさん「わかりました!Aと置くやつですね!」

あちゃーと思いつつ、続きを聞いてみる。

Kさん「(2x-1)の部分をAとおくと、こうなります。」

3x(x-2)-(2x-1)(x-5)-(2x-1)
=3x²-6x+A(x-5)-A
=3x²-6x+Ax-5x-A
=3x²-6x+(2x-1)x-5(2x-1)-(2x-1)
=3x²-6x+(2x-1)³…

徐々にKさんの抱えている課題が見えてきた。

私「(2x-1)³はどういう意味かな?」
Kさん「(2x-1)³は(2x-1)×(2x-1)×(2x-1)という意味です。あれ、確かにおかしいですね。

応用問題が解けない訳

Kさんの課題の一つとして掛け算と足し算・引き算の区別が明確についておらず、誤った展開やまとめをしてしまうことが挙げられる。展開および因数分解について正しく理解できていないと言えばそれまでなのだが、どうすれば正しい理解に導くことができるのだろうか。このとき「もっと基本的なことを繰り返し練習させる」という方法は効果が薄いと考えられる。Kさんに
(2x-1)(x-5)
の展開だけをやってもらったところ、見事正解できていたからだ。学校や塾での勉強が功を奏し、基本問題は既にできるようになっている。ただ、今回のような少し複雑な問題に対応できるようにはなっていない。

誤った展開をしたりAとおく手法を選択したりするのは、Kさんの頭の中で解法が整理されていないからに他ならない。しかし、正しい解法をKさんに伝えるだけでは意味がない。Kさんが自ら能動的に考えることで初めて思考が整理されていくのだ。誤った解法を選択した際には、すぐに否定するのではなくその先まで議論し、自ら矛盾点に気付けるよう促すべきである。思い出してほしい。皆さんが初めて何かを学ぶとき、最初から正しい理解が出来ていただろか。無数の誤りや勘違いを少しずつ克服することによって徐々に思考が整理されたはずである。この過程を生徒に体験してもらうことが非常に大切だと思う。

考えるのは好き

幸いなことにKさんは考えるのが好きなようだ。ただ、あまりにも複雑になったり自分の考えが否定されたりすると面倒になってしまうという。私の使命は、Kさんの思考力を伸ばすことであって正しい解法を押し付けることではない。今後Kさんが自由に思考を重ね、数学が得意になっていくことを願う。心配することはない。誰がどのように考えても論理的に正しければ答えにたどり着くのが数学なのだから。

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