モネ《睡蓮、柳の反映》
松方コレクションでモネ《睡蓮、柳の反映》を観たのは2019年7月14日のこと。
当時、私がつけていた美術展評には次のように書かれている。
この作品についてざっくり説明すると、1916年に制作されたこの作品は松方幸次郎に購入され、当初はロダン美術館に保管されたものの、第二次世界大戦中にフランス北部の寒村に疎開、その時にこの損傷を受けたと推定されている。その後、フランス軍に敵国人資産として接収されたものの、その損傷からか日本への返還作品としては扱われず、記録から消える形でその後は行方不明となっていた。
そんな本作が発見されたのは2017年11月のこと。フランス美術館局が接収した作品を管理するために場所を借りていたルーヴル美術館で発見され、松方コレクションであることが確認されたのち日本に寄贈されることとなる。そして、約1年の修復期間を経て、『国立西洋美術館開館60周年記念 松方コレクション展』でお披露目となり、その後は常設展で公開されている。
修復といっても、テレビなんかで取り上げられそうな「絵が蘇る」というようなニュアンスとはだいぶ程遠い。写真を見ていただければ分かる通り、修復としてはとしてはこれ以上の欠損を免れるよう措置をとったというだけにも受け取れる。もっとも、これだけの面積が失われてしまっては、絵の100%を蘇らせる修復というのも出来ない話らしい。ちなみに欠損前に撮影されていたモノクロ写真をもとに凸版印刷株式会社がAI技術を用いて推定復元をしているが(これがまた深みのある作品)、あくまでそれは「推定」であって、オリジナルとは少々ニュアンスが異なる。
松方の経営する川崎造船所が金融恐慌によって破綻したことによる松方コレクションの散逸、戦争による劣悪な環境への疎開、敵国人資産としての接収。間接的にではあるけど、モネが全く意図しない部分で、この作品には歴史の重い影が落とし込まれてしまっている、というのは言いすぎかもしれないが、もしこれらの事件が起きなければというようなレバタラがどうしても頭をかすめる。一方でクリムトや黒田清輝のように戦火によって焼失した作品のことを考えると、この作品は「戦争をかろうじて生き残った作品」と言うことはできるかもしれない。
昔、美術鑑賞の際、私たちは単に作品を観ているのではなく、その歴史をも観ているという指摘を何かで読んだことがある。美術鑑賞ということが決して当たり前の行為ではなく、それに至るまでの先人たち、そして学芸員や修復を担当した芸術家たちの保存活動等があって鑑賞に至っている、口で言えばごく当たり前の話だが、500年以上前の何かしらの欠損がある美術品や建築物ならまだしも、100年前の美術でそれを思い出すのは珍しい。その作品が持つ歴史に、「美術鑑賞」という行為そのものについて改めて考えさせられることは多い。
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ここまで作品の歴史に触れてきたが、作品それ自体が持つ、モネの描く憂愁の美しさは十分以上に残っていると思う。蓮の葉が浮く水面に映る柳の姿に、微かな水の音、風に揺られて柳の擦れる音、いずれにせよ非常に静かな情景が連想される。青に紛れて紫色が使われているということは日没前の風景なのだろうか。決して楽しいばかりではない、不安や悲しみといった、内面にある負の感情を喚起させられるような部分もある。しかしこの作品はそこで終わらない、この絵にはそういった感情を受け入れてくれるかのような、そんな深みがある。
絵の前に座り、ずっと観ていたくなる。昨日(2020/10/16)も観に行ったが、この絵が飾られている部屋を出るときは後ろ髪を引かれる思いだった。国立西洋美術館は10月18日の企画展終了をもって、1年半の長期休館に入る。この作品が観る機会が減ることは少々寂しい思いがする。もちろん西洋美術館はその間、様々な美術展に自らのコレクションを貸すだろうが、果たしてこの作品は貸し出されるのだろうか。来年モネ展が開催されていることは知っているが、この作品の持つ、モネ自身とは直接関係の無い歴史は少々うるさいかも知れない。
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