見出し画像

美術好きになることと、音楽の趣味が多少変わることについて。

 美術鑑賞の際、耳栓代わりにイヤホンをすることはあるけど、基本的に音楽は全く聴かない。大したポリシーがあるわけじゃなくて、単に私の場合、感想文用のメモをしたり頭の中で言葉がぐるぐるしていたりして、そのうち音楽が邪魔くさくなって…というのが実情だ。
 音声ガイドは美術鑑賞に変化が欲しいときに使うが(たとえば過去に複数回鑑賞したことがある画家の展覧会など)、初見では基本的に使わない。

 年齢的なこともあるのか、音楽を聴きながら書き物というのもあまりできなくなった。ラジオもほぼダメであることから、どうやら「言葉」がダメらしい。さらに言えばドラムみたいな激しいビートも、ものを書くときには集中を削がれるような気がしている。
 ちなみにスティーブン・キングは小説を書くとき、メタリカを聴くことで外界とシャットアウトをしているというが、にわかには信じがたい。

 ただ、それでも完全な無音に耐えきれないときがある。最初のうちはYouTubeやアプリで波や森林の音を流していたりもしたが、あれもパターンがあって、聴いているうちに飽きてくる側面がある。
 そういう時のお供として、いつからか私はインスト(インストゥルメンタル、ボーカルのない曲)を好んで聴くようになった。ちなみに元々私が聴いていた音楽は激しめのハードコア・パンクやメタル、ラップなどの類である(もっと細かいジャンル分けが一応あるが、マニア談義が過ぎるのでここでは触れない)。多少クラシックやジャズも聴くが、オマケ程度である。

 以前、美術好きはモーツァルトやベートーヴェンのようなクラシックが好きなものだという、はっきりと偏見を持っていた。しかし実際美術好きになってみると、必ずしもそういうことではないことがわかる。そもそも音楽の話題を口に出す人自体が少ないのだが、私と近い音楽の趣味の人もいるし、みんな思い思いの、好きな音楽を聴いている印象がある。
 美術のことを踏まえてみても、「美術好きはクラシック好き」はやっぱり偏見でしかない。マティスやモンドリアンには作品にジャズの影響が伺えたりするし、戦後になればパンキッシュだったり、あるいはヒップホップのルーツであるブラックカルチャーのエッセンスを多分に含んだ作品が登場することもある。そういう音楽に触れなくても十分に美術は楽しめるし、「◯◯は××だ」という偏見・思い込みがそもそも美術鑑賞にとっては邪魔でしかない。

マティス《ジャズ(表紙)》(1947)
モンドリアン《Victory Boogie-Woogie》(1940-42)

 しかしそれでも、美術のことを勉強する過程でも、音楽のことも多少は知る機会がある。
 私の場合、たまたま聴いた放送大学で、アンビエント・ミュージックの提唱者であるブライアン・イーノの名前に触れることができた。

 また、「タモリ倶楽部」で音楽家の西村直晃さんが出演された際にスティーブ・ライヒの名前がテロップに出てきて、それをきっかけにミニマル・ミュージックも多少聴くようになった。

 また、個人的にはメタル好きの流れとしてSUNN O)))を知った。音数の少なさでは今回紹介しているものの中ではぶっちぎりだろう。若干ダークな音楽性で、楽曲によってはナレーションが含まれる曲もあるのだが、これも「作業中に聴く」音楽の選択肢の一つには入っている。

 そしてもう一つ、最近よく聴くようになったのが坂本龍一だ。時期によって方向性は様々で、それぞれに魅力があるが、「作業中に聴く音楽」としては、ピアノソロで完結する『BTTB』との相性の良さを個人的には感じている。

 もちろん、作業を離れた場では普通に今まで通りの音楽を聴いている。履歴を見るとCreeepy Nuts、新しい学校のリーダーズみたいな新規開拓もしているし、今まで通りのTHA BLUE HERBやALEXISONFIREも聴いていたりする。自分にとっての懐メロにも意識が向いている時期らしく、最直近で聴いていたのはTHE MAD CAPSULE MARKETSだった。

 きっかけは必要に迫られてだが、こういった音楽の趣味の変化は、多少なりとも美術鑑賞にも影響を与えていると思う。特にイーノやSUNN O)))といったアンビエント・ミュージックは「絵画を眺めるように音楽を聴く」、反対に「音楽を聴くように絵画を鑑賞する」という、簡単には説明しがたいことを教えてくれた。

 自分にとっての根本を否定しすぎない範囲であれば、変化することは楽しいというか、一種の成長として、前向きに捉えて良いことだと思う。40歳を過ぎてこういう機会をまだまだいただけるのは、素直にありがたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?