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量と質

 よく物事がうまくなるために、「質より量」とか「塵も積もれば山となる」とか、そういう話が上がる。

 しかしよく考えてみると、そもそもの質問は「Q.上手くなるには?」だから、それに対する回答は「A.練習する」ということで、その「練習」の内容には量も質も相応につきまとってくる。
 しゃにむにバットを振っても変なクセがつくだけで、筋力アップはあるかも知れないがかえって選手寿命に悪影響を及ぼしてしまうこともある。かといってキレイなバッティングフォームを頭で覚えても、それは一日で身につくものではない。反復練習を繰り返すことで血肉化をする作業をしなければ「上手くなる」ことはない。そしてこの比率は、質4:量6というように、数値で示されるものでもないだろう。現状質を重視しすぎている人はもっと量にこだわりを持ったほうが良いこともあるし、逆に練習を量できる人は質に関心を持ったほうが良い、それぐらいの話である。
 このことは野球の練習に限らず、どのようなことにも言えると思う。「量と質」というようなありがちな慣用句が、本来の目標達成のために必要なことから目を反らせていやしないだろうか。

 手前味噌だが、ここで自分のやっているInstagramを例に、そこらへんのことを説明したい。

 美術展を始めたおよそ2年半前は400字書くのにもうんうんうなっていたり、短時間でまぁまぁの長文で書けたとしても文章の構成やら文法・語法がゲシュタルト崩壊を起こしているような状況だった。何よりも本人が「メモで良い」というようなスタンスだったので、それで満足というか、納得させようとしているところが問題だった。アップロードしたものの、「上手く書けなかった」と、晴れやかな気分になれなかった投稿も少なからず存在する。

 現在は展覧会の規模にもよるが、だいたい3時間ぐらいで800〜1200字を書くのが目安になっている。上にリンクしたような感想文のような、割と構成が平易だと1時間ほどで書けたりもするけど、テンプレで文章を書くのが好きじゃなくて、メモをテキストに起こしながら、構成から考えるので、現状はまだこれ以上の短縮化が図れない状況にある。
 とにかく、長文を書くのは以前より苦ではなくなった。それどころか、楽しく文章が書けていることも実感できるようになっている。

 もともと文章を書くのが苦手な自分がそこまで書けるようになったのは、月並みだけど「①毎週書いてたから(量)」、そして「②それなりに勉強したから(質)」の二点に尽きると思う。そして、①②のどちらが書けても、たぶん自分が求めるような文章にはならないような気がしている。
 と、ここまで書いていて思ったが、自分の場合、文章を書くにあたって必要なものは「質か量か」以上に、「上手い文章を書きたい」という気持ちだったのかも知れない。その昔、「内村プロデュース」で、「ピクニックに必要なものは?」というような大喜利問題に、回答者の塚地武雅(ドランクドラゴン)が「まず行くという意志」と答えて爆笑をかっさらったことがあったけれど、今考えると、実は的を得ていたような気もしている。

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