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蘇る電子辞書

 昨冬ぐらいからコトバンクに動画広告がつくようになった。

 正式名称は知らないが、5秒か30秒か、その動画なりなんなりを一定時間再生しないとウェブサイトの閲覧自体ができないというような、そういうタイプの広告である(自分の記憶だと、文春オンラインなんかも同様の広告がついてきたか)。
 他の広告と同様、基本的に邪魔くさいというのは確かだが、Wikipediaも定期的にカンパを募っているし、ああいうサイトの運営にはお金がかかるという、止むを得ない事情というのも全くわからないではない。

 しかし、初めてコトバンクにこの広告がついてきた時、私は少なからず、というか、かなり慌てた。
 大学のオンライン試験中だったからである。
 
時間にすればたったの5秒だったが、問題を解くための試験時間中、ただ広告を見ているだけの5秒なんて通常考えられない。それにこういう広告は、たとえば5秒広告を観た直後で30秒別の広告を見せられたり、数分おきに同様の広告を見せてきたりなんていうパターンも存在する。某テレビ番組配信ポータルでは一度、全く同じ90秒広告を2連打強制で見せようとしてきた、なんていうこともあった。とりわけこの話題になると、どうしても疑心暗鬼になっていく。ならざるを得ない。

 このときはたった5秒で広告は終了したため、大した影響とはならなかったが、たった5秒では持ち込み資料を確認するみたいな機転を効かせることもできず、ただただ「え!え!」と、心を乱される5秒間が発生してしまった。
(これが30秒の広告だったら…)
 気を取り直して試験に関する語彙をコトバンクで調べつつ、私は「よもや」の状況にヒヤッとしていた。

 これ以降も、コトバンクには名称不明のタイプの広告が付き続ける。最近は恐ろしいほどの広告がつくケースも珍しくなくなってきたが、コトバンクはその中では比較的良心的なほうと言えるのかもしれない。
 しかし、ネットにせよ電子辞書にせよ、言葉の意味を調べる時間なんて最短10秒もかからない。しかし、そんな語彙を調べるために5〜30秒の別に興味もないゲームや漫画、ポータルサイトなんかの広告を見させられる。「見ない」にしても、この数秒〜数十秒の時間は確実に無駄な時間である。
 「止むを得ない事情」…などと同情してみせても、現実問題として、自分にはまるで興味関心のない広告を見せられれば正直興は削がれる。そしてそういうことを繰り返されているうちに、辞書を調べる手は(大学を卒業したこともあるが)段々と遠のいていく。
 Wikipediaもカンパの募集を割としつこめにやってくるとはいえ、動画の強制閲覧みたいなことはしてこない。「坊主憎けりゃ…」とは少し違うが、以前からあるバナー型の広告も段々とうっとうしく感じてきた。

 こういうことを思ったのは私だけではないらしく、コトバンクの運営会社にも様々な意見が届くようになっていたらしい。そして最近になって、「広告非表示プラン」というものを提案してくるようになってきた。週100円、日割りにして月最大440円ほどのお金を払えば広告を非表示にしてくれるという。

 なるほど、タバコ一箱に満たない程度の値段であの広告が消えるのなら安く見える… が、ちょっと待てよ。note的なブログでコピー&ペーストを使うのならたしかにWeb版のコトバンクは便利だが、単に調べるだけなら、電子辞書でもいいんじゃないか。

 もちろん、新品の辞書なら1万円から6万円とまさにピンキリ。しかし中古ならばリサイクルショップで2000〜3000円ほどで動作確認済のものが購入できる。6万円クラスになれば、コトバンク換算(100円/週)で元が取れるのは11年半後ということになるが、中古ならば最短5ヶ月弱も使えば元が取れるということになる。コトバンクならではの最新語彙の追加、アップデートなどの恩恵は受けられないが… あまり新語を調べるわけではない自分にとっては、それによる影響もそこまで大きくないんじゃないか。単純に、ネットにつながらない環境で使えることも大きい。

 というわけで、私は新しい中古電子辞書(ねじれた日本語)を買ってきた。

 実は電子辞書は自前で既に2台持っているのだが、やや外国語関係に偏っていること、また最近テレビで観ている「川島明の辞書で呑む」(テレビ東京系)の影響もあって、より国語(日本語)に特化している辞書が欲しくなったというのもある。
 購入したものは高校生向けのモデルで、明鏡・例解の国語辞典2冊のほか、古語辞典や英語辞典、歴史事典や科学事典といった、英国数理社を網羅する辞典類が一通り揃っている。記事の項目にマーカーを引いたり、タッチペンで書き込みをすることもできる。複数辞書の横断検索も可能だし、「私の頃にこれがあったら…」と思いたくなる、私にとっては至れり尽くせりの電子辞書だ。
 唯一、「LILKANSAI******(*は人名)」という、前の持ち主のユーザー名を削除できない(前の持ち主が設定した4桁のパスワードが必要)のが唯一の泣き所だが、これが私にとっての「広告」というところだろうか。もし我こそはLILKANSAI******という方がいれば、ぜひともご連絡をいただきたい。

 数日前に購入して以来、この辞書をずっと使っている。前述の「辞書で呑む」みたいな番組をこの電子辞書片手で観るのも楽しいし、本に登場してきた意味のわからなかった言葉・出来事だけでなく、すでに知っているような言葉を調べ、マーカーを引き、単語帳なりノートなりに登録していく… 気がつけば私は電子辞書を片手に寝落ちしていた。こんな絵に描いたような辞書好きみたいなムーブ、それをまさか私がするとは思わなかった。

 そしてふと思う。紙にせよ電子にせよ、これこそが、辞書との正しい向き合い方、付き合い方では無かったかと。

 もちろん、コトバンクにはコトバンクの魅力、たとえば辞書の網羅性の高さというものは変わらずあって、より多様な辞書を調べたいということになれば当然これからも活用することだろうと思う。課金すれば広告がなくなる、ということであれば、同じ体験をコトバンクでする、ということもこれから可能になってくるのかもしれない。

 ただ、長い事コトバンクのようなオンライン辞書に慣れ親しんでいたからこそ、今は電子辞書で調べ物をすることがとても楽しく感じる。そこはより純粋な、夾雑物の入りこまない勉強の「場」である。『「超」勉強法』(野口悠紀雄、講談社)の第一原則は「面白いことを勉強する」だが、「より面白い『場』で勉強する」ということも、勉強にとっても重要だ。少なくともこの電子辞書は、そういう「場」を与えてくれている。


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