見出し画像

私小説 愛される条件、あるいは死刑台への階段

 愛される条件は、もちろん従順であることだ。言われたことには素直に従う。しかし、それだけではだめだ。常に上司の顔色を伺い、上司は何を望んでいるのか常にそれを考え、望むものを命じられる前にそっと差し出す。さっと差し出してはだめだ。あらぬ疑いをかけられる。もしかすると、こいつはおれを追い落とそうとしているのではないか。そう思われてはもう終わりだ。だからそっと、そして、おずおずと自信なさそうに差し出すのである。
 それが福祉の世界で、愛される条件だ。従順であり、控えめであり、できれば多少愚かなくらいがいい。まかりまちがっても、上司よりも賢く振舞ってはいけない。自分よりも賢い部下は排除される。昔からの鉄則だ。
 あけすけに言ってしまうと、わたしはかなり優秀だった。こんな書き方をすると、嫌味だと思われるかもしれない。でも、これは小説だから。
 とにかくわたしはかなり優秀だった。一般企業では中の上か、上の下くらいでも、福祉の世界では超エリート級だ。それと性別を問わない点は、わたしに有利に働いた。そもそも女性の多い職場でもあり、女が妙に優秀であっても、女のくせに生意気だとは言われなかった。腹の底で、どう思われていたのかは知らないが、わたしの評価は高かった。
 そんなわけで、法人の労務管理改革の委員会メンバーに抜擢されたことがあった。
 労務管理改革といえば聞こえはいいが、要するにそれは労働条件の不利益変更に関することで、常識があれば無理筋の話だとすぐにわかった。しかし、法人幹部はそれをしたいと言った。そもそも常識のない連中なのだ。
「無理です」
 わたしは言った。その一言で、幹部連中の機嫌が悪くなった。わたしは求められるままに、どうしてそれが無理なのか説明した。
 その二日後だ、新しく事業所長に任命された彼がわたしのところにやってきた。そしてわたしに説教をはじめた。回りくどい話だったが要するに、
「上の人の話は素直に聞くものだ」
 と、いうのが彼の言いたいことだった。
「誰が言ったって無理なものは無理です」
「決めつけちゃだめだ。偉い人の言うことはとにかく聞くものだ」
「なに言ってんですか。それなりの手続きをとってからというのならまだ話は分かりますよ。ですが、手続きもなしでやっちゃおうなんて、まともな組織のすることですか」
「うちの法人がまともじゃないというのか」
「ええ、まともじゃないです。こんなのブラック企業のやり方ですよ」
 そんなやりとりが延々と続いた。説得が無理だと思ったのか、彼はぶつぶつと独り言を呟きはじめた。元々、視野に部下は入っておらず、上司の意向ばかりを気にかけているやつだという噂は聞いていた。その通りのやつだった。何をぶつぶつ言っているのかと耳を澄ませると、
「次長は何を考えているんだろう」
 とか、
「部長は何を期待しているんだ」
 とか、上司の意向を探るために、懸命に己と対話をしていた。しばらく眺めていたが、そのうち馬鹿らしくなってきて、
「もう行っていいですか」
 と、わたしは言った。彼は返事をしなかった。仕方がないので、彼がこの世界に戻ってくるのを待った。十分も待っただろか。戻ってきた彼は、
「こうしよう」
 と、言ってわたしに自分の考えを説明した。溜息しか出ないようなばかげた提案だった。
「わかりました。わたしはこの話から降ります」
 それで終わりだった。速やかに、わたしはその委員会から外された。以来、わたしには一度も声がかからなくなった。馬鹿な話に付き合わされるくらいなら、声などかけてもらわない方がよかった。
 わたしに説教をしにやってきた彼は、その後順調に出世の階段を上って、一年後には次長を飛び越えて部長になっていた。従順で愛されるというのは、つまりそういうことなのだ。だが、彼がめでたく部長になったとき、労働争議がおきた。わたしが無理だといった労働条件の不利益変更に対して、不満を募らせていた職員の一部がユニオンに駆け込んだのだ。団体交渉に持ち込まれ、最終的に法人が折れた。結局、法人は労働条件を元に戻した。
 馬鹿な話だった。いったい法人は何をしたのだろう。何の益もないことをしたのである。いや、益がないどころの話ではなかった。ユニオンは法人に支部を作った。かつてのように無理も無茶もできなくなった。それはもちろん職員にとってはありがたいことだった。しかし、法人経営層にとっては、自らの愚策で、既得権を手放したことになる。ほんとうに愚かだった。
 しかし、物語はまだ終わらない。わたしに説教をしに来た彼は、全ての責任を取らされた。部長を解任された。今度も次長を飛び越え、副所長、つまり係長級にまでいっきに降ろされた。ユニオンの介入を招き、法人経営を危うくしたというのが理由だった。彼は退職した。
 愛される条件とはもちろん従順であることだ。それ以外にない。しかし、従順であることは、すべての責任をとってくれと言われたとき、たとえそれが自らの責に帰することではなくても、
「はい、わかりました」
 と、答えるしかない立場を自らの手で作ることでもあった。もちろん運次第の部分もある。従順に徹して、登っていく階段が、栄光への階段か、それとも死刑台へ向かう十三階段かは、登っている本人はもちろん、登らせている連中にもわからない。
 確かなことは、社会福祉法人のパイは小さいということだ。分け与えられる者は限られている。自分を殺し、上の顔色を伺って、懸命に尽くしても、最後は捨てられる。愛されようと懸命に頑張っても最後はそれだ。
 彼が去ったのは、いわば自業自得だった。
 だが、なぜだろう。わたしは彼を笑うことはできなかった。今もできない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?