30歳無職子供部屋おじさんの日記 3日目

Twitterでタケノコが一本当たり1000円以上で販売されているというツイートに、「タケノコって自分で掘ったりもらったりするから、お金をだして買うようなものじゃない」というリプライがぶら下がっていた。

田舎住みとしては「確かに買ったことないな」という思いだが、1000円を超すタケノコを食べてみたい気もする。

とはいえ、この手の話題は、売価と原価の認識とか、ブランドイメージや商品価値とか目に見えないコストとか、ツッコミどころや炎上ポイントを多分に含んでいる話なので、何も語らないのが正解なのだろう。

あまりにも豊作になった結果として廃棄する農産物が出ることをツイートすると「捨てるくらいならくれor食に困っている人に配ったら良いのに」と言い出す人が出てくるのと通底している。
地雷原だ。

価格メカニズムと死荷重、貧困問題と社会的コストの問題は経済学の範疇だ。経済学者に任せよう。

私が物心ついたときには、社会は「民間のやり方で運営すれば上手くいく」という信念の下、行政を含むあらゆる分野に市場メカニズムや競争意識を導入することで「効率化」を図ってきた。

「市場に任せると不経済が起こる可能性が高い」公共部門に市場メカニズムを持ち込むという、この収まりの悪さ(気持ちの悪さ?) はどうにも拭えない。毎晩つけているマウスピースのハマりの悪さに似ている。

お金儲けにそぐわない分野でお金を稼ごうとしている姿勢から「必死過ぎ引くわwww」みたいな印象を受けるのかも知れない。

お金儲けにそぐわない分野でお金稼ごうとするのは、投資の才能がない証拠か大穴狙いかの少なくともどちらかだ。




そうやって「効率化」を図った結果が、0円食堂や子ども食堂、はたまた上記の「捨てるならくれ」などの「他人の善意にフリーライドすることを前提とした社会」になったのならば、それは「効率化」という目的からすると当然の結果ではあるが、貧困対策が役割のひとつである行政や公共部門としては失敗だろう。

0円食堂よろしく「え⁉︎この人材捨てちゃうんですか?譲ってもらえませんか?」と、私のことを拾ってただ働きさせようとする御社が出てくるかも知れない。

私はただ働きはしない。やりがい搾取には応じるかも知れないが、無賃労働はしない。

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