刈谷の西念寺

刈谷の西念寺は南無阿弥陀仏を大切にする 親鸞聖人が開かれた真宗大谷派の伝統寺院です。 …

刈谷の西念寺

刈谷の西念寺は南無阿弥陀仏を大切にする 親鸞聖人が開かれた真宗大谷派の伝統寺院です。 地域のお檀家さんとのお付き合いにより支えられて 現在に至ります。 耳目を喜ばせるような文章ではございませんが、 刈谷の西念寺の住職がどんな人物か伝わればいいかな と考えて続けています。

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    毎月お檀家に発行している「西念寺だより」。 その中身を一部「note版」として掲載しています。

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    note開始以前より発行していた 『西念寺だより』掲載の一部を アーカイブとして 定期的にアップロードします。

最近の記事

告知通り 1月のお賽銭21,362円を大谷派の能登半島地震救援金として募金に使わせていただきました ご協力ありがとうございました

    • 常々無常流々流転 No,168近代慨念のわかりやすい話と昔のわからない話の大切さ 釈行信

       ブッダが生まれた時、「天上天下唯我独尊」とおっしゃった伝説があります。現在の日本では「全てのものが私と同じように大切である」という訳が多く語られています。 これは「唯我独尊」の文字の意味と違いますね。学術的には世の迷いと全く違うブッダの誕生を表して文字通り「唯だ我独り尊い」「世界で初めての人」の意味だと言われています。  でも「全てのものが私と同じように大切である」という訳が日本で多くの人に受け入れられて語られています。それが「わかりやすい話」なのです。  わかりやす

      • 常々無常流々流転 No,167どうでも良い話に救われる 釈行信

        最近『ジェーン・スーと堀井美香の「OverTheSun」』というTBSラジオ番組を聴いています。ネットが便利になりまして、色々な専門家の話が聴けます。初めは知らない知識に触れることができると喜んで、戸締りやゴミの分別、洗い物、子どものお迎えなど色々な作業の時に流し聞きしていました。 しかしよく考えると、そういう作業は考えない時間だったんですね。それを考えることができる知識情報をバンバン耳に入れるものですから、知らないうちに疲れてきている自分に気付きました。息抜きのつもり

        • 新しいものは古くなる

          仏教民話の現代語訳を考えているのですが、当時の社会常識が現代だと差別表現というのはよくある話です。手塚治虫のマンガなどで「執筆当時の時代背景を考え、該当箇所の削除や書き換えは行わず、原文のままとしました。」のような断り書きがよく見られます。仏教経典の中にも現代においても決着がついていない問題があります。 最近は時代の変化が激しく、タクシー運転手のオジサンが若い人とは世間話も怖くてできないという話を聞きました。かつては若者だったわけですが、中年のオジサンや高齢者の起こす事件

        告知通り 1月のお賽銭21,362円を大谷派の能登半島地震救援金として募金に使わせていただきました ご協力ありがとうございました

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          一輪の花を供える 「花まつり」

           FacebookやツイッターなどのSNSで「イイネ」を求めるのは、「イイネ」という他者の共感がなければ、ネット空間に自分が存在しないのと同じだからである。SNSのネット空間においては「イイネ」は存在の呼吸に等しい。 という社会学説を聞いたことがあります。  今年の4月は春の祠堂法要に普段の行事のほかに、お釈迦様の誕生を祝う花まつりを行いました。天地を指さし「天上天下唯我独尊」とおっしゃった誕生されたお釈迦様の姿に甘茶をかける行事です。  私が花まつりを今年やった仏縁の一

          一輪の花を供える 「花まつり」

          戦争という殺戮機械 釈行信「常々無常流々流転」No,152 『西念寺だより』令和4年4月号掲載

          常々無常流々流転 No,152「戦争」という殺戮機械  釈行信 https://gigazine.net/news/20220311-ukraine-bill-legal-kill-russian-soldiers/  ウクライナで戦争が始まってしまいました。旧共産圏とはいえ、現代ヨーロッパで戦車や戦闘機による戦争が起こると私は思っていませんでした。プーチンさんは戦争の成果を挙げなければ自分の立場が危ういようで、なかなか停戦に至りません。 世界の敵になってしまったプーチ

          戦争という殺戮機械 釈行信「常々無常流々流転」No,152 『西念寺だより』令和4年4月号掲載

          不安な者への力の誘惑 釈行信「常々無常流々流転」No,151 『西念寺だより』令和4年3月号掲載

          実は浄土真宗では信仰は「持った」瞬間腐ると言われます。如来のはたらきによる信仰に基づいているので、「私の信仰」になった瞬間から腐るのです。しかし「その私」の在り方に如来がはたらくという循環が信仰の歩みになっています。 さてウクライナではロシアとアメリカがにらみ合っています。本来であれば、戦争にまでは至らないでしょう。しかしながら、アフガン侵攻はアメリカの諜報組織が予算や発言力のためにイスラムゲリラを過大評価して始まったと言われています。火遊びが大火事になることは否定できませ

          不安な者への力の誘惑 釈行信「常々無常流々流転」No,151 『西念寺だより』令和4年3月号掲載

          浄土の迷失 釈行信「常々無常流々流転」No,007 『西念寺だより』平成21年9月号掲載

          (くる年くる年 花は相似(おなじ)くわかわかしいが、めぐる歳めぐる歳 人は不同(さまがわ)りとしよっていく。寄言(きいてく)れ、全盛(いまはさかり)の紅顔子(わかいきみたち)、この半死(しにかけ)の白頭(しらが)翁(じじい)を応(ふさわ)しく憐れんでくれ。) 言(ごん)走り心(しん)跳びて 菩提(ぼだい)荒ぶる、作(さ)心(しん)盛りにして 卑下(ひげ)慢心(まんしん)に浮沈(ふちん)す、紅顔(こうがん)いよいよ赫(あか)く 白頭(はくとう)をしらずして 身の崩落(ほ

          浄土の迷失 釈行信「常々無常流々流転」No,007 『西念寺だより』平成21年9月号掲載

          悲しい正しさ 釈行信「常々無常流々流転」No,006 『西念寺だより』平成21年8月号掲載

           最近は正しさに惑わされています。色んな場面で、「これでいいのだろうか」ということを考えてしまいます。そういう不安がない人は自分が正しいという根拠をどこかで手に入れているのでしょうか。  最近気になるのは、他人を否定することで自分が正しいとする在(あ)り方(かた)です。普通、正しさが先にあって成立する間違いですが、正しさの根拠が確かでなくても、他人の間違いを指摘することで、指摘した自分の正しさが際立つという構図です。  アメリカでは戦争をすると大統領の支持率が上がることが

          悲しい正しさ 釈行信「常々無常流々流転」No,006 『西念寺だより』平成21年8月号掲載

          「死」を頂けるのか 釈行信「常々無常流々流転」No,005 『西念寺だより』平成21年7月号掲載

           地域で開かれるご法座「十三日講」で「あなたはがん告知をして欲しいか、また身内にがん告知するか」という問いを頂きました。  がん告知の有無自体で問題が解決することはなく、その背景にある人生観が問題の要(かなめ)だろうと思います。それは真宗における機の問題じゃないでしょうか。私はどういう状態(存在)であるか、それが機の問題です。これまでは当然のように生きてきて問題なかったかもしれない。しかしがん告知の結果、そうではなくなった。もしそうなら、これまでの生き方が私の機に応じた生き

          「死」を頂けるのか 釈行信「常々無常流々流転」No,005 『西念寺だより』平成21年7月号掲載

          聴講メモ 令和4年2月17日 春期講座 講師 元同朋大学学長 尾畑文正師 「この地上に確かに人として生きる」

          本日は富士松地域浄土真宗8カ寺で毎年行われる春期講座を執り行いました。普段は一般参詣を中心とした法話を頂きますが、今回はオミクロン株の状況から僧侶のみの勉強会として開催しました。 尾畑先生が同朋大学で学生をされていたころから、上田義文先生が近所にお住まいで、毎月勉強会にお招きして『唯識三十頌』の講義を受けたこと。当時は「摂大乗論」と「宗教の諸問題」という2つの講義ゼミをお持ちで、その「宗教の諸問題」では学生たちからの様々な質問に宗教的立場から応え、ティリッヒの組織神学なども

          聴講メモ 令和4年2月17日 春期講座 講師 元同朋大学学長 尾畑文正師 「この地上に確かに人として生きる」

          私の戦争 釈行信「常々無常流々流転」No,004 『西念寺だより』平成21年6月号掲載

            南無阿弥陀佛(なむあみだぶつ)ということを、昔の人は「阿弥陀さんに任す」と言う表現をしたようです。それがどうも現代の私にはしっくり来ません。しかしながら、学生の時、その「任す」ということをもっと攻撃的に表現した言葉に出会いました。誰に聞いたか、どこで読んだか覚えてないのですが、印象深かったのでしょうか、まだ覚えています。  それは「私というものが如来によって全く占領される」というような言葉でした。「占領される」という表現に「あー、なるほど、本願力(ほんがんりき)という力

          私の戦争 釈行信「常々無常流々流転」No,004 『西念寺だより』平成21年6月号掲載

          真宗の帰敬(ききょう)式(しき)と遠藤(えんどう)周作(しゅうさく)のキリスト教洗礼(せんれい) 釈行信「常々無常流々流転」No,003 『西念寺だより』平成21年5月号掲載

           遠藤周作は前にコーヒーのCMにCGで出てた人で作家さんです。その著作の『イエスの生涯』には人間としての弱者イエスが描かれています。どうやら遠藤さんの素直に頂けるイエス像を書いたようです。今回はそのあとがきに遠藤さんの洗礼について書いてあったので、それについて書こうと思います。  遠藤さんは熱心なキリスト教徒の母によって11歳で洗礼を受け、それを「合わない洋服」と評しています。しかしながら、母が自らを愛する故に着せたその服に違和感を持ちながらも、自らに確信した生き方がないの

          真宗の帰敬(ききょう)式(しき)と遠藤(えんどう)周作(しゅうさく)のキリスト教洗礼(せんれい) 釈行信「常々無常流々流転」No,003 『西念寺だより』平成21年5月号掲載

          ただ、この生きる痛みから逃れたい 釈行信「常々無常流々流転」No,002 『西念寺だより』平成21年4月号掲載

          「我が爲(ため)に広く憂悩(うのう)なき処(ところ)を説きたまえ」 『仏説(ぶっせつ)観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』  今月の掲示板に書かせて頂きました。この言葉は韋提希(いだいけ)というお妃(きさき)様が父親殺しの息子を持つことになり、またその息子に自分も幽閉されることになって、「どうしてこのような目に会わなければならないのか」と我が身の不幸に嘆いたときに出た言葉です。  この言葉を選んだ理由は、冒頭に挙げた「ただ、この生きる痛みから逃れたい」という言葉で私自身

          ただ、この生きる痛みから逃れたい 釈行信「常々無常流々流転」No,002 『西念寺だより』平成21年4月号掲載

          愚癡(ぐち)蒙昧(もうまい)を生きる 釈行信「常々無常流々流転」No,001『西念寺だより』平成21年3月号掲載

           国会の迷走。定額給付金をめぐる朝令暮改(ちょうれいぼかい)。補正予算をめぐる駆け引き。庶民の苦しみに向き合うわけでも、問題に取り組むわけでもなく、同座(どうざ)する姿勢を失っているようです。  そして迷走しながら迷走ではないと、身を立てようと力んで言うことになります。迷いながら迷いに気付けない、それが最大の私の迷いです。 〔『同朋新聞』一月号「時言」 四衢(よつつじ)亮氏〕 他人事では済ませられないものがあります。  自分が仏教について話そうとした後、非常にイヤな気

          愚癡(ぐち)蒙昧(もうまい)を生きる 釈行信「常々無常流々流転」No,001『西念寺だより』平成21年3月号掲載

          「常々無常流々流転」No,150 世の不安と死にざま 釈行信 『西念寺だより』令和4年2月号掲載    

           これは昨日、今日に思うことではございませんが、生きていくにたくさんのことが必要と言われる一方で、かつてのような豊かさのない未来を生きねばならないことに漠然とした不安を覚えることがあります。  そのような未来に対する漠然とした不安の中で、改めて親鸞聖人の死にざまを思うことが多くなりました。ひ孫に当たる覚如上人が関東を旅して聞き集めた親鸞聖人の生涯をまとめた『御伝鈔(ごでんしょう)』には下記のようにあります。 仲冬下旬の候より、いささか不例の気まします。自爾以来、口に世事を

          「常々無常流々流転」No,150 世の不安と死にざま 釈行信 『西念寺だより』令和4年2月号掲載