2010_12_04_浮月桜_狩野様_015

あっち側から私を眺めたい

「大好きだった相手も私が好きだった」という幸せな事実が判明した時、必ずしてしまう甘い問いかけがあります。「いつから私を好きだったの?」というのが、それ。

他にも「あの時のあの言葉は、行動は、視線は、なんだったの?」というようなことを、うんざりされない程度に、様子をみながら質問するのが好きです。そうすると、私を恋に落とした相手の過去の言動(「あれ?顔が赤いですよ?熱でもありますか?」からのおでこタッチみたいなこと)が、なんの思惑もなかったということが判明したりするわけです。私にとって人生を左右する出来事も、誰かにとってはそうじゃないというのは、とっても面白い。

小説や映画でも、こうした別視点からの物語が明らかになるものが好きです。語り手が入れ替わる物語。ひとつの出来事やストーリーが、複数の視点から語られる物語。小説だったら「抱擁、あるいはライスには塩を 」、映画だったら「クラウドアトラス」、漫画だったら「駅から5分」。ゲームの「街」や「428」は、まさにその視点の移り変わりこそがテーマになっていて、とても好みでした。「グランドホテル形式」というそうです、こういう表現技法。

記憶にある中で、最初に衝撃を受けたのは、氷室冴子の「なぎさボーイ」と「多恵子ガール」です。私を泣きに泣かせたヒロイン視点からの出来事が、少年視点ではごく軽く扱われていることが、ものすごくショックだったのですが、どこかで「現実ってたぶんそういうもの」と納得した小学生時代でした。

現実世界では、私以外私じゃないし、私は私以外じゃないので、誰かに聞くことでしか、他の物語に立つ私を見ることはできません。誰かに聞いたとしても、私が持つ情報量に比べたら、ほんの少しのことしかわからないんだけど、それでも、「あっち側からの私」を知るのは、とても楽しいことです。

私が、書くことが好きなのも、このことと関係があるかもしれません。書いた途端、書かれた自分が少しだけ他人になって、外側から眺めることができる。それがとても楽しくて、いろんなことを書いてみたいなと思うのかもしれません。

そして、おでこタッチで私を落とした夫が、私に恋した瞬間は、今でも謎のままです。ひみつなのではなく、本当にわからないんだって。まあ、そういうのはそういうので、なんかちょっと「何だよそれ」と思わないこともないけど、面白いなあと思ったりするのです。

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